――――― NBSAネット・ニュース 2005年2月号 ―――――
ネパールの視覚障害者を支える会
Nepal Blind Support Association (NBSA)
大変お待たせしました! NBSA 2月のネットニュース 滑り込みセーフです 2月6日〜21日まで一時帰国していました ご存知の様に2月1日から8日まで 電話回線=インターネットが遮断されてしまい 大勢の方にご心配をおかけしました いたって元気でありますが周囲の人々にどこか元気がない NBSAのスタッフは 不安な状況の中 けなげにも暗雲を吹き飛ばすように カセットライブラリー事業に全勢力を注いでいます 今月のニュースは活動報告より 皆さんがいま一番知りたいネパールの状況を現地からお伝えします
2月1日の玉音放送
本日午前10時からギャネンドラ国王から重大な発表があるので ネパール国民は全員 テレビを観るかラジオを聞くように と朝から何度もアナウンスがあった この日私は10時にネパール盲人協会でアポがあった 到着すると誰かがどこからか白黒テレビを持ってきて 全員が一番広い部屋に集まっている 国王の演説が始まった 堂々とそしてゆっくり一語一語を確認するかのような口調で何かを話している 私のネパール語では言葉を拾うだけが精一杯だったが 何やら政党政治を激しく非難し 民主主義を守るという言葉だけは拾えた これはいよいよ国軍を総動員して 対マオイストの全面戦争に突入するのか と一瞬考えた 放送が終わると各自自室に戻っていった 私は事務総長の部屋に飛び込み 今の演説の説明を求めた 事務総長は苦笑いをして 渥美さんとりあえずドアを閉めてくださいよ と言った 次に出てきた言葉は この国からデモクラシーがなくなるのです 言論の自由や表現の自由もなくなる 首相を解任し内閣を解散させた国王が 全政治的権力を掌握し 今後3年間 多数政党政治や選挙を禁止し 自ら政治を行うというものだそうです エエッ本当にそこまでやるのか と驚きよりむしろ悪い予感が的中した気がした それからがすごかった 職場に電話を入れてみるとまったく通じない 呼び出し音すら聞こえない ラインが完全にカットされたか… 次にスタッフがノックもせずに入って来た 渥美さん外出禁止令が出るかも知れません すぐに自宅に戻ってくださいと言われた 表に出ると帰路につく人々のバスや車でごった返している 登校したばかりの学童が列を下校している とっさに思いついたのが買出しだ 外出禁止令は何度か経験済みだし ふいに起こるゼネストにもなれている とりあえずスーパーに駆け込み 米やパンなどをどっさり買い込んだ それでも なぁに庶民の野菜市は立つんだからと腹の底では思っていた 大学病院の前を通過してふと気になった 電話が通じないと救急患者はどうするのだろうかと
情報が途絶えるとき
自宅に戻り まずしたことはインターネットへの接続 こう言うときは外からの情報が一番的確なのだ ムムッ何度もトライしたがまったく接続しない ああ電話線がカットされていたんだっけ 急に体から力が抜けた よしじゃぁ携帯だ! これもダメ それではテレビだ 薄い望みを抱いてスイッチを入れる あれ?テレビはいいのね 民謡を流している 他のチャンネルも映っている チャンネル1以外はOKだ それから1時間テレビをつけっぱなしにしていたら12時15分に 画面がまた厳粛なムードになった 今度は国家非常事態権限の発令 うっへーまたか 過去に期限を延長して丸1年間 ネパールは非常事態下にあったけ それからしばらくしてテレビ放送がいっさい消えたが 数時間内にある程度復活 ドラマや歌謡曲スポーツ番組だけが放映され ニュースと称するものは外国の放送も含め 全てカット ネパール語放送はチャンネル1が相変わらずカット 前から目をつけられていた局だったからさてはやられたな 時々国王の玉音放送が繰り返し流れる ラジオも同様で 限られた局だけ限定版番組だけは放送された なかなか用心深いことにインドのヒンドゥー語ニュースはばっちりカット ネパールではヒンドゥー語がわかる人が多いのだ そのせいだろうウルドゥー語はOKだった NHKの海外版BS2は案外早く復活 ノンポリ放送と思われていたようだが うかつだったね 同日の夜にはすでに今回の政変のニュースが流れてしまったよ 王室虐殺事件の時は故意の停電とテレビは長期に亘りカットされてしまったが 電話はOKだった あの時ほどインターネットを頼もしいと思ったことはない こちらからも大分発信した ネパールのようにインドと中国のような大国に挟まれた小国は 諸外国の評価が大切なのだ 今回は情報網で最も重要な電話がやられたので たまらない恐怖を味わった 日本の家族がさぞ心配していることだろう 身近な友人にも連絡できない NBSAのスタッフはどうしているだろう こんなときの為に伝書バトでも飼っておけばよかった… もう腹をくくって本でも読もうかとするのだが なぜか集中力が散漫して何も手につかない こんな事態にも動じない隣の猫が勝手に入ってきた ミルクをやるとゴロゴロいって眠りだした 猫の丸い頭をなぜてぼんやりと時間をつぶした
こうして数日間電話無し メールもカットで不安定な日々を過ごした
翌日わかったことだが その日は国際空港も封鎖されたそうだった
2000年以降の政局の推移
1990年にネパールに大衆的な民主化運動が起こり 多党制民主主義と新憲法の制定を勝ち取る 2001年6月にビレンドラ国王一家の大虐殺事件が起こり 後弟王子のギャネンドラが国王に即位 以降反政府組織のマオイスト派の武力闘争がエスカレートしていく 2002年5月に国王は下院を解散し 同時に時の首相デウバが無能であるとして解任した その後国王は親王派のチャンド首相を任命したが これも失格で解任 さらにタパ首相の任命と解任後 2004年5月に国王は国民の人気を得るために 自ら解任したネパール民主国民会議派のデウバ首相を 再度首相に任命した ところが2月1日にデウバ首相は再度解任 さらに多くの政党のリーダーを自宅軟禁し この状態が今日も続いている デウバ首相の解任理由は 2002年に解散した下院選挙の実施がいまだにできず マオイストとの平和交渉を行えなかったためとしている
国王演説の内容の要約(補足)
1990年の民主化以後の多数政党による政治は 派閥闘争に明け暮れ 政治家が党利党略と個人的利益の追求に奔走していたため 国家の発展が遅れマオイストとの平和交渉が実現できなかったのは遺憾なことで 国王は真の平和を実現し 民主主義を復活させるために 自ら内閣を発足させすること 多党制民主主義は普遍であることなどを 30分に及んだ演説の中で強調した
非常事態権限と中止されたネパール憲法の条文(要点のみ)
第115条(1):ネパール王国の危機に際し陛下は布告により非常事態の宣言を発することができる(8)陛下は非常事態宣言と共に 憲法第12条 13条 15条 16条 17条 22条及び23条の一時的中止を施行できる
第12条(自由権)言論と表現 集会 移動の自由
第13条(印刷出版の権利)ニュース記事 論説 その他の著作物は検閲されない
第15条(予防拘禁に対する権利)王国の法と秩序を脅かす証拠がない限り 何人も予防拘禁されることはない
第16条(情報の権利)何人も公的重要性をもつ情報を要求し受ける権利を有す
第17条(財産権)
1. 何人も財産を獲得 売却 処分する権利を有す
2. 国家は個人の財産を徴発 取得や債務を課すことができない
3. 公共の利益のために徴発 取得 債務を課した財産に対する法的保証
第22条(プライバシーの権利)個人的生活 通信 情報のプライバシーは侵害されない
第23条(憲法的救済の権利)諸権利を第88条(最高裁判所の管轄権)にのっとり追求する権利がありこれを保証する
以上
アメとムチ
国王は2に目に90年以前の大臣などを多く起用した親内閣の選任 汚職摘発コミッションの設立 障害者や貧困層の救済等 庶民にアメをばら撒く傍ら 政党や人権団体のリーダー 報道人 知識人 などの摘発を行いカトマンドゥの刑務所はどこも満杯だそうです 刑務所にもれた人は自宅軟禁が続いています 国際世論の評価は意外に厳しく 欧米諸国のほかインドが強く新体制を批判し 多党制民主主義の回復を求めています 日本も同様な見解を出しているようで 国王側は国際的窮地に立たされていますが強気です その背景には市民の間での情報交換手段を断ち切っているので 反対集会など起こせませんし 政党のアジテーターがひとりも残っていないのです さらにもとより反体制派のマオイストの武力闘争が日増しにエスカレートしていき 国民に不評をかっているからです
この先どのような展開になるのか 皆目検討がつきませんが インドと英国が軍事援助を断ってきたので 国王は6ヵ月後に政党政治を認める という柔軟性を見せ始めました
カトマンドゥと地方
現在ネパールの新聞から社説が消えている状態です 国王政府の発表の他は娯楽的な内容がほとんどで あまり広範囲は情報が把握しにくくなりました しかし人の口に戸は立てられない のごとく口コミで様々な情報が入ってきます 地方の都市はマオイストによる強制ゼネストが続き 15日間1台の車も走っていない 軍隊が警備できない場所への移動は 任意で死ぬ覚悟で行ってください と言われたという話も聞きました その分自転車が大いに売れているそうです カトマンドゥ盆地は表面的にはいつもの日常と変わりません しかし盆地を一歩外に出ると 完全に別世界の様で 反対派の筆頭マオイストが精力的に活動しています
市民生活にもかなりの影響が見られてきて 燃料不足 食料不足で物価が急騰し 困窮は目に見えています 案外カトマンドゥは 砂の城なのかも知れません どこか何かが変化している
ネパール人のイメージは穏やかでのんびり 我慢強く明るい こんな感じだと思います そして限りなく貧しい人々は 風になびくアシの様に右往左往させられる今日のご飯が食べられればよし 明日の分まで残っていればもうけもの こう考える人々ばかりと思っていました 連日行われていた市内中心部での集会やデモが 2月1日を境にぴたりと収まりました やれやれ毎日の渋滞から開放され タイヤを燃やす煙にむせる事がなくなった 政治はお上が行うまつりごと これでよいではないか と多くの市民は事なかれ主義を決め込む姿勢を始めは見せていました ところが2月21日にネパールに戻って来て なんだかこれまでと雰囲気が違っていると感じました 強い意思表示をする人は一切いない 誰もが貝のように口を閉ざしているのですが 貝も呼吸をしているので時にはフーッと吐息をもらします みんな学問を受けていないから 蒙昧無知に上の者を敬うのだろう と思っていたのですが ところがどっこい ネパールにも世界の風は吹いているのです 正義とは何か 人間に与えられた権利とは何か 外国はわが祖国をどう見ているのか そして隣国は? メディアの普及で人々の考え方も 感受性も以前と変わってきたように感じます 汚職議員を追放し クリーンな政治を行う国王の公約を評価はするものの 人気という点では意外に低い 前国王は政治に不干渉の姿勢を貫いていたので国民的人気が高かった そのせいだけはないようで 兄王が虐殺され3年たった今日でも 誰もあの事件を忘れていないことが原因のひとつではないだろうか 2005年2月27日現在 人気の高かったチャンネル1は閉鎖。携帯電話がいまだに不通で 一部のホームページは開放されていません
情報の遮断 特にラジオやテレビ放送の制限は 視覚障害者にとって本当に恐ろしいことだと思います 誰もが発言に気をつけながら生活している昨今ですが 目配せやしぐさで意志を表現することが可能です しかしそれを声に出してもらえない限り目の不自由な人には通じない ネパールの視覚障害者がひとりでも危険なことに巻き込まれないよう 祈るばかりです
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NBSAネット・ニュース 編集と文責 渥美よりこ カトマンドゥ在住
NBSAホームページ:http://at.sakura.ne.jp/~ilte/nbsa/