―――  NBSAネットニュース 2006年8月号 ――――

 

ネパールの視覚障害者を支える会(NBSA)の会員 支援者の皆様

 

ネパールの秋は占星術師が決定した ジャナイプルニマの日から始まると言われています  今年は8月9日にあたりました  高位カーストのブラーマンは この日に神聖な糸を肩にかける儀式をしました  そのせいかカトマンドゥは幾分涼しくなった気がします  ネパールの秋の訪れは日本よりやや早そうです  日本は恒例の台風シーズンが始まりますね  皆様のご安泰お祈りいたします

 

       定例活動報告  ありがとう日本のボランティア  中村さんの奮闘記

NBSAネットニュース6月号で取り上げた カセットテープ ライブラリーのデジタル化の苦境に対応しようと はるばる日本からやってきたエンジニアの中村英明さん  忙しいスケジュールを縫ってカトマンドゥで講習会を開いてくれました

 

デジタルでのレコーディングにチャレンジしているボランティアメンバーの目は真剣だった  1年4ヶ月前は 録音の環境をどうするかとか デジタルレコーディングって何なんだろうという状態だったように記憶している  音声をパソコンで取り込み 不必要な部分を修正して CDに書き込む  慣れれば問題ないが あまりパソコンの前に座ったことのない人にとっては 大きな壁になる  Windowsを使ってはいるが 基本操作や基本概念ができていないまま 音声編集のソフトの操作にチャレンジしているボランティアも当然いる  今回基礎講習を計3時間ほどやった  自らが操作しそして最後まで自分でやってみること  パソコンの一番の特徴であるトライ&エラー 何度でもチャレンジして 何度でも失敗し そして成功し満足感を得る  今回講習に参加してくれたボランティアは 最初は質問どころか ネパール語で説明を求めるなど消極的だった  しかし3時間後は 自分だけで復習をしたいと私たちを追い出し 今回の内容だけではなくもっとほかのポイントを教えてほしい と直接英語で話しかけてくるなど 姿勢が変った  ボランティアの彼女は 30分ほど 自習し成功したときには できたー と大きな声で叫んでいた  誰かに教えてもらうことに慣れきっている状態から チャレンジする姿勢へと変化する  NBSAのボランティアは 素直に喜ぶことができる  こういった小さい満足をつなぎ合わせて デジタル編集へと変化していけば ネパールでデジタルを要求される時代には すでに大きなライブラリを持っていることになるでしょう  

次回の講習のテーマの宿題を 逆に私がもらってしまった  次のきっかけを作ること そしてひとつ ひとつの活動を大切にすること  NBSAのメンバーが満足を得て活動していることに 現地で一緒になって活動している 渥美さんの気持ちを見せてもらうことができたように思う  

私は、ネパールにリフレッシュに来る  そしてNBSAのメンバーは 私から技術を吸い取り 次のステップへと進んでいく  今回のリフレッシュタイムは 私もとても満足できたような気がする  

(中村 英明 2006年8月11日)

 

       ふたつの山  チョモランマとサガルマータ

 

今回はネパールの近くて遠い隣国 チベットを旅行したネパール人に感想を聞きました 

 

私はネパールのブラーマンです  ブラーマンは山のヒンドゥーの最高位の司祭カーストで Bahunとも呼ばれるひとつの民族です  ネパールにはたくさんのチベット人がいますが チベット人の友人もいないし 深く関心をもったことがありませんでした  私はヒンドゥー教徒で家族の誰もチベットへ行ったことがありません  宗教 生活習慣が著しく違う私がチベットを旅行したのは 旅行会社を経営しているので ぜひとも隣国のことを学びたいと思ったからです  カトマンドゥから標高3,600mのラサ空港に降り立ってまず驚いたのは急に頭が痛くなったことです  これまで高い山に登っても高山病にかかったことがなかったからです  ラサではポタラ宮を3時間かけて見学し その素晴らしさに圧倒されました  まさに金の宮殿という気がしました  そして驚いたことにラサではネパール語を話す人々が大勢いたのです  もしかすると60〜70%の人がネパール語がわかるのではないでしょうか  ネパールとチベットは昔から塩や砂金の交易などを通じ 親密な関係にありました  ただあまりに高い山々の障壁で   近年の貿易はもっぱらインドを中心に行われています  しかしいまだに20〜30年前にネパールからチベットに移住した人たちが かたくなにネパール語を守っていたようです  そして会う人々みんなとても親切だった 

日本人は環境の変化にとても敏感なようで 外国を旅行すると人みしりをしたり神経質になる と聞いていますが 私にはリラックスでき 特に人々がやさしく感じられました  ただひとつ とても奇妙に感じたのが時間です  チベットは北京の時間を使っているので  ネパールと2時間15分の時差があります  そこで夜の9時を過ぎてもまだ明るく 朝は9時になってもまだ暗いのです  ネパールとチベットはこんなに近いのだから ネパールと同じ時間にすればよいのに と思いました  また隣り合わせの国だから ビザ代も考慮してもらいたいと思います  ネパールはとても貧乏な国なのに ビザ代は一般の外国人旅行者と同じ料金を求められました  ネパールは中国人旅行者に対しては優遇処置をとっていますし インドではどこへ行ってもビザが不要です  やっぱり隣国とはいえチベットはネパール人にとって 遠い国だなぁと思いました

また どこへ行っても仏教 仏教  インドはヒンドゥーだらけでも馴染みが深いのであまり抵抗はなかったですが チベット仏教徒の熱心さに圧倒されました  しかし仏教から学ぶことは多い と最近多くのネパール人は感じるようになりました  とても深遠な思想をもっている  密かなブームともいえそうです  私もチベットへ行ってから仏教を学びたいと思うようになりました  

ところでラサは食べ物が美味しく またネパール料理もよく食されているようです  ラサを見た限りでは物資はネパールより多く 生活水準がカトマンドゥより高いように思えました  今後ネパールに住むチベットの難民にも関心を寄せようと思います  私はネパールの法を守り 税金を払えば ネパール在住のチベット人が どのようなビジネスをして住んでもよいと思います  中にはあこぎな商法を営んでいると 悪評が立つチベット人もいますが  世界中どこの国でも悪い人はいるでしょう?  しかしエベレストはやっぱりサガルマータと呼ぶべきですよ  これだけは譲れませんね  

(ビソ アディカリ)

 

注 タイトルのふたつの山 エベレストをチベットのことばではチョモランマ ネパール語ではサガルマータと呼びます

 

● ラサで思ったこと

 

カトマンドゥからラサに到着して まずやることは中国時間になおすこと  時計の針を2時間15分進めることです  ネパールの北に位置するところなのに  帰りはラサ発10:20 カトマンズ着9:25 ほぼ南に1時間飛んだのに 時間は逆戻り 何とも奇妙な感じでした  空港から旧市内まで猛スピードで約1時間 川沿いの菜の花畑の中を快適なドライブでした  ネパールの細々とした菜の花を知っている私にとっては 栄養十分な豊かなみのりの菜の花に見えました  黄色の菜の花畑に点在する高原野菜のための ビニールハウスも ネパールにはない目新しいものとして写りました  

ラサの旧市街は これぞ本物のチベット人の街  やはり規模もカトマンドゥのものとは比較しようがない程 立派で大きい  夏場だったので 地方からの巡礼の人々も多く 活気に満ちて町でした  ただ中華人民共和国の一部には違いない チベット語と漢字の両方の看板が目につきます  特にラサ新市街は漢字のほうが多く チベット語は遠慮がちに見えたものです  チベット人に聞いてみると 漢字は読めないとのこと… それと期待して見たポタラ宮  かつては政治 宗教の中心地として栄えたところなのに 今は見る影もなく 単に常駐する僧侶もわずか10人前後ということでした  これではポタラ宮を博物館として管理するのも難しそう  2006年には鉄道も開通するということで 新しいチベットに変っていくことでしょう

(上田 佳代子)

 

チベット豆知識

正式名称  中華人民共和国チベット自治区

面積  日本6つ分 ネパールは北海道の約2つ分

歴史  チベットにも様々な民族が住んでいますが ほとんどがチベット族でネパールのような多様性はありません  チベット族による正史によると紀元前127年に初代のチベット王が即位しています 唐の時代に漢族とチベット族は王室の間で結婚したり条約を結んだりして 政治経済文化のうえで密接に結び付き 統一国家をつくるための厚い基盤を固めました  このころチベットには様々な仏教の宗派が独自に発展していましたが  ダライ ラマ派がこれらを統一し  ラサを首都に定め ポタラ宮を建設し 統治機構を整えました  1840年のアヘン戦争以来 中国の半植民地化にともない イギリス ロシアなどの列強はたびたびチベットへの占領を試みますが 辛亥革命により清朝が倒されると 中華民国は漢族 満州族 回族 チベット族などを併合した共和国であると主張  1949年の中華人民共和国設立を経て1959年に中国の支配に反発するチベット人が反乱を起こし ダライ ラマ14世以下はインドに亡命  今日に及んでいます  文化大革命終焉以降 信仰の自由 宗教活動は基本的に自由になったとされています

 

● ネパールからも行けるチベット・ツァー

1 陸路で  カトマンドゥの旅行者が仕立てているバスやランドクルーザーで行くことができます  これは最低5人以上のグループと規定されていて 多国籍の旅行者と旅をするのも貴重な体験になります  ただし旅行者の仕立てバスは雪の降らない季節 4月から10月までしか運行されません  行きはバス帰りは飛行機などのチョイスも可能

 

2 空路で  飛行機は カトマンドゥとラサの間を中国南西航空が往復しています  夏場で週3便

 

共にビザはカトマンドゥの中国大使館で取得しなければなりません  ビザ取得は1週間くらいかかりますので 時間のない人はカトマンドゥの旅行代理店に事前にパスポートのコピーを郵送するなどしておくと便利でしょう  ネパール経由でチベットに入ると 費用が大幅に節約できるのが魅力です

 

      ネパールの民話(7) 今回はチベットが舞台の民話 野生の男 NYALMU です  

 

    昔むかし これはある村のキャラバンが チベットの開拓村クイで穀物と塩を交換しに行く途中に起こったおはなしです  今日のヘランブーは当時メレンチと呼ばれていて その付近に洞窟がありました  一隊は日が沈むとこの洞穴で夜を過ごすことに決めました 一隊は洞穴の入り口で火をたいて夕食を作りました  食事が終わり一隊は眠ることにしました  みんなはすぐに眠ってしまいましたが 洞穴の中より外の方が安全だろうと思った男がひとりいて 洞穴を抜け出し木の幹に寝床をしつらえました  

 

やがて 野生の男がやってきて キャラバンの一隊が洞穴で眠っているのを見つけました  野生の男は松の若木を引き抜いて 一隊を殺す準備を始めました  

「おかしいぞ  さっき見たときは男が9人いたのに ここには8人しかいない」

と野生の男はあやしみました  野生の男が謎をとこうとさかんに頭をひねっている間 洞穴から抜け出した男が大きな岩を持ち上げて 洞穴の入り口の焚き木に投げつけました  四方八方焚き木は火の粉を飛ばしました  野生の男は恐れおののき 毛深い体に火がつくと、キャラバンの一隊を残して一目散に逃げていきましたとさ 

 

● 特報  NBSA秋のスタディーツアー 参加者大募集

NBSAのスタディーツァーは毎回バラエティに富んでいる!

こう言って3度も参加した方がいます  ネパールの視覚に障がいがある人と共に登る アンナプルナ街道 そして学校や施設の見学もできます  お買い物の時間もたっぷりとってあるので カトマンドゥの庶民の生活に触れられるのも魅力のひとつ  とにかくおもしろい と評判です  ガイドボランティアもこちらで用意しますので 視力に障がいのある方も気楽に参加できます  おいでませ ネパールへ!

日程などは http://at.sakura.ne.jp/~ilte/nbsa/ をご覧ください

 

編集と文責 渥美よりこ カトマンドゥ在住

2006年8月11日

 

本会の活動やスタディーツァー情報などを載せた NBSAホームページ:http://at.sakura.ne.jp/~ilte/nbsa/ は最新版の会報誌を更新しています  ぜひご覧ください

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