――――― NBSAネット・ニュース 2004年6月 ―――――

 

  ネパールの視覚障害者を支える会

Nepal Blind Support Association (NBSA)

 

 

会員のみなさん 支援者のみなさん ナマステ

 

いよいよ雨季に入りました  雨の降らないときは暑く 雨が降り出すととたんに気温がさがるカトマンドゥです  編集者もすこし寝冷えをしてカゼをひきました  日本も梅雨の最中 毎日の通勤通学がさぞ大変なことと思います  ご自愛ください

  

ネパールの政局第2弾

 

5月に続きネパールの政局の変化をお知らせします  5月に首相が辞任し 以降国王は新首相の選任を一旦野党の5大政党に任されていたのですが 結局野党は意見の一致を見ず 6月4日に国王は新首相をシェル バハドール デウバを新首相に任命しました  デウバ新首相の党派及び一部の党は4月1日より展開していた民主化闘争から離脱しましたが 国王の首相任命をよしとしない政党の間にも 今後国王の位置付けを巡り意見がまとまっていません 今回の任命はまたしても国王の横暴 非民主的行為と非難を続ける野党4大政党がいまだに 連日抗議運動を展開していますが どうも一般市民を巻き込んだ大きなうねりに発展せず 下火に向かいつつあります  さて マオイスト派の動きですが 6月上旬にマオ派の大物6人がインドで逮捕されるという事件が起こり 6月10日〜12日に予定されていたゼネストが中止になりました  しかしマオ派の基本路線は変っていませんので 今回の国王による新首相の任命に大きく反発しています  地方での戦闘は激化し 今後の動静を見守っていく必要があります

 

NBSAカトマンドゥ報告 ネパールの盲人文化を築いた先生Janga Bahadur Bogati氏にインタビューです

 

問い 先生まず自己紹介をお願いします  

答え 私の名はジャンガ バハドール ボガティです 東南部のセティ郡の出身 ネパールの山岳地帯です  1960年以来カトマンドゥに住んでいます  私は生後2年目に失明し 明暗以外まったく視力がありません  私はネパールで初の点字と盲人学級を作りました これまでの私の人生は 全て盲人社会の発展に注がれ これと言って個人的な楽しみはなにもしてこなかった と言っても大げさではありません  しかしそれは私の人生の大きな喜びでもあります 

 

問い ネパール語の点字をどんなきっかけで作ったのですか

答え 始め私はインドへ行きました  インドに行けば 視覚障害者も勉強ができると多少聞いていたので  インドでまずヒンドゥー語点字を学びました これが私と点字との出会いです  後私は時の国王マヘンドラにインドから手紙を書き 盲学校の建設を嘆願しました いま思うと驚くべき話ですが マヘンドラ国王にその手紙が届けられ ネパールに戻るよう指示されました  マヘンドラ国王の任命で まず初めにネパールに盲学校を建設し それからネパール語の点字を作りました  

 

問い 当時のネパールの様子を想像すると すごい話ですねー さてネパール語の点字とヒンドゥーの点字は類似していますか

答え ほとんど同じですが 部分的には違っています  ネパール語のデバナガリが固有なものですから ネパール語の点字も若干違います  

 

問い ネパール語の点字を作るとき どんな問題がありましたか

答え そのとき私はひとりで点字を作っていました  相談する相手がいなかったので インドの人々にもずいぶん手伝ってもらいました  

 

問い 先生はこれまで何人の生徒に点字を教えてこられたのですか

答え さぁ数はわかりませんが 40年前から盲人と晴眼者を いっしょの教室で学ばせる統合教育をしてきました このような統合教育は おそらくネパールが世界で初めてだったでしょう  最近になってやっと日本 欧米 中国でも統合教育が始まったそうですが ネパールでは初めから統合教育です  まぁ国家の予算がなかったから必然的にそうなったのですが  盲の子どもと晴眼者の子どもたちが 仲良く協力して学ぶことは大切です  統合教室で学んだ子どもたちは 自然に助け合いの精神を学びます  

 

問い しかし日本では未だに統合教育が100%支持されていません 視力に障害を持った児童が学ぶべき専門性が 統合教育には欠如しているからです  

答え 人それぞれの考え方があるのですよ それがクリスチャンであれ ヒンドゥー教徒であれ たとえ神様の前であれ 文句を言う人が必ずいるのです  

 

問い 視力に障害をもった子どもと 一般の子どもの関係はどうですか  

答え 統合教育を始めた40年前と今とではぜんぜん違う  教室の中では差別がまったくなくなった と言ってもよいほどです  

 

問い 先生は現在教壇に立たれていませんが 余暇などは何をしていますか  

答え 授業があってもなくても私は学校に行きます 私自身学校の敷地内に住んでいますので 休みの日に地方出身の寮生などに勉強を教えています  

 

問い ネパールの若い視覚障害者にひとつアドバイスをお願いします  

答え 正直であれ 嘘はつくな  品行法正な人といわれるようになれ 自分の利益だけを考えず 人に助けてもらっていることを忘れるな  自分より目上目下にかかわらず 人のアドバイスを素直に聞け

 

問い ボランティアにアドバイスをいただけますか  

答え 目の不自由な者を介助するときは 常に相手の気持ちを考えること  目が見えないからといって 相手を騙すようなことはするな

 

問い 先生今後 何をされたいのですか  

答え このままの生活がいい  ここに長年住んでいるし 他に移り住む予定もない 学校へ行き 食べて寝る このままでいたい

 

先生本日はお話を聞かせていただき ありがとうございました  以上

 

 

先生の印象ですが 何となく浮世離れした感じがありますが 決してボケているわけではなく 数字にはすごく強いと思いました 先生の栄誉は知る人ぞ知るで いまではあまり称えられることはないようです  私は4年前に 先生に日本から時計を持っていったことがあるので 私の印象は時計の日本人としてしか残っていないようでした まったく私利私欲のない人 自然体の人という感じでしたが 自宅に戻ったら 早速電話があり 生活が苦しいので個人的に援助してくれと言ってきました  NBSAは団体援助しか行わないと言うと じゃ学校援助でもいいよと多少しつこい うーん 援助漬けのネパール さすが他力本願を発揮されて 高潔な人物という印象がちょっと薄れました  

 

NBSAカトマンドゥ 渥美 資子

 

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