―――  NBSAネットニュース 2007年1月号 ――――

 

ネパールの視覚障害者を支える会(NBSA)の会員 支援者の皆様

 

 

年頭の挨拶

 

新年あけましておめでとうございます  

NBSA会員の皆様をはじめ日常よりNBSAにご理解を頂き 多大なるご支援 ご協力を頂いております皆様には すがすがしい初春をお迎えのことと心からお喜び申し上げます  

早いもので ネパールの視覚障がい者を取巻く一般の人々と 政府機関へ社会的弱者に対する意識を啓発することを目的に設立された本会も5年目を迎えることになります  

 ネパールでは2005年2月からの国王による政権掌握も終止符をうち 1996年以降続いたマオイストの武装闘争も 一応 停戦し 民主化へ向かっていることは 喜ばしい限りです 

 昨年は 皆様のご協力により 高速カセットテープダビング機を購入することも出来 NBSAカトマンドウ支部ではカセットテープ・ライブラリーと点字月刊誌という定番を 定着させることができました

 今年は 現地においては 盲児の親のネットワーク カトマンドゥ会議を予定しています  

国内においては 4月に鹿児島市でチャリティーコンサートの開催を予定しています  

 最後になりましたが 皆様 本年もご協力 ご支援のほどよろしくお願いいたしますとともに 本年が皆様にとりましてご健康ですばらしい年になりますよう心からお祈り申し上げまして 新年の挨拶といたします  

NBSA 会長

 

 

     活動報告 盲児の親への啓発セミナー ビルガンジで開催

 

2007年1月1日 ネパール南部タライ地方の都市ビルガンジと周辺の郡から 視力に障がいのある子どもの親を招待し 教育の重要性を訴えるセミナーとネットワーク作りを行いました  当日は視力障がい児の親ばかりでなく 兄弟や親族合わせて30人が参加し 予定をはるかに上回り このセミナーへの関心の高さをうかがわせました  今回のセミナーはこれまでの中で一番よい出来栄えであったと自負しています  

 

私たちは皆さんに何か教えに来たのではありません 皆さんの胸のうちを聞きにきたのです と講師のオムさんが切り出すと  参加者が苦悶の表情でぽつりぽつりと話始めました  その内容は 子どもの将来への不安が多かったのですが 私たちの子どもをどう育てればよいのだろうか という悩みを共有しようとしたことが カトマンドゥのセミナーとは大きく違っていました  カトマンドゥでは私の子どもをいかにしてよい学校へ進学させようか ということに関心をもつ親が多かったのです  また前回のネパールガンジの参加者は どこかのんきで明るい感じがあったのですが  今回の参加者はとことん貧しく 将来の展望がないまま 漠然と不安だけを感じて生きてきた という印象を受けました  それだけに講師の話を真剣に聞いてくれたようです  このような集まりに一度も出席したことのない人々が大変多かったのも特徴のひとつでした

 

ただちょっとセミナーの進行に支障が生じた点は 多くの人が遅刻したことと ことばの問題です 遅刻者が多かったことで終了が大変遅くなり みなさんの帰宅に迷惑をかけました  ことばの面では タライに住むタルー族の参加者の中にはネパール語をまったく解さず 急遽通訳をつけたのですが その分時間がかかりました  ネパールガンジの参加者の中にもタルー族がいましたが ネパール語がわかる人々ばかりだったので 今回はちょっと油断していました  またネパール語を聞き取ることはできても 話すときはヒンドゥー語 という人もいました  日本よりずっと小さいネパールでも 様々な民族やことばがあるので この点も今後留意してセミナーを行おう と反省しています  最後にカトマンドゥから運んだ 衣類を配布しました  さて セミナーを終えてカトマンドゥに戻った翌朝の新聞には 昨晩タライ地方で6名が凍死した という記事が載っていました  持って行った衣類が少しでも役に立ったことを願います  

 

ビルガンジってこんなところだった

 

私たちは12月31日カトマンドゥを出発し 同日の夕方にビルガンジに着いた 霧のたちこめる中 すごい熱気を感じて驚き唖然  インド人やインド系住民が大晦日なので騒いでいるのです  そういやぁインドは西暦を使っているのだっけ  この騒ぎは元旦の午前2時まで続きまったく眠れない  日本にいれば 大晦日の夜くらい騒いでも許せるが 現在私は西暦で正月を祝わないカトマンドゥに住んでいるせいで やけにうるさく感じてむかつきっぱなしだった

 

今回でビルガンジは2度目の訪問だが 冬場がこんなに寒いとは思わなかった  朝目を覚ますとあたりは一面の霧  昼間も一条の光も射さない  午後5時を過ぎるともう真っ暗  こんな天気がもう一週間も続いていると言われた  セミナー会場のキャンパスの講堂には 裸電球と1本の蛍光灯が燈されているだけ  メモもろくに取れないほどの暗さ  聞きしに勝る霧の怪物  そして宿屋の窓には網戸は張ってあってもガラスがない そっか暑さの備えはあっても寒さは無装備なのか  大急ぎで窓にシーツを張ってもらったが寒いこと寒いこと  それなのに部屋には蚊がわんさか飛んでいて しこたま刺された  うーん この寒いのに 恐るべしタライの蚊  

 

報告 渥美よりこ 

 

                                                     

      ●ネパールのニュース 2006年12月下旬から2007年上旬

 

      日本山岳会東海支部の登山隊が世界第4位の高峰 ネパール ヒマラヤのローツェの南壁を経由しての冬季初登頂を目指したが 標高差で残り41メートルを残し 登頂を断念した  隊員の疲労が激しいことなどが理由

 

      9ヶ月ぶりに姿をあらわしたブッダの化身   昨年会報でお伝えしたブッダの生まれ変わりと言われている少年が 3月以来行方をくらましていたが 昨年暮に発見された  場所はバラ郡のジャングルの中で 以前同様木の下で瞑想しているのを 地元住民が発見し警察に通報したもの  この生まれ変わり少年通算すると1年以上の断食生活を送っていることになり 樹液だけを飲み食事は一切とらないそうだが 彼から周囲50メートル以内には人を近づけさせないし  夜は木の周りをビニールシートなどで囲ってしまうので 少なくともカトマンドゥの市民は懐疑的だ

 

      昨年暮のインドネシア環境会議の報告によると 北京市の空気中の汚染物質は1立方メートルあたり142ミクログラムで アジアの都市の中で大気汚染が最もひどいと指摘された  その次は同じく中国の西安 ネパールの首都カトマンドゥ バングラデシュの首都ダッカ インドの首都ニューデリーと続く  これらの都市の大気汚染指数は 世界安全組織が規定した安全基準を なんと56倍以上も上回ったそうだ 

 

 

     国の運命を占うクマリ

 

ネパールにはクマリという生き神様がいます  ネワール族のサキャという名字の家系の女の子から選ばれ 血を流すと神様が去った印ということで 初潮を迎えると交代して新しいクマリが選ばれます  カトマンズ盆地には11人?のクマリがいるそうですが 最も重要で有名なのはカトマンズのクマリです  秋のインドラ ジャートラというお祭りの時 国王はクマリに礼拝し額にティカ 赤い祝福の印 を受けます  国王さえもひざまずかせる力を持つ一少女 その力はどこから来るのでしょうか  実はクマリはタレジュという女神の依代 よりしろ でタレジュ女神の神意を我々に伝えてくれるものと考えられています  タレジュ女神こそネパール王家の守護神なのです  

彼女の挙動は王様側近の司祭に毎日報告され その何気ない動きが何かの予兆であるかどうか判断されます  1954年 国王にティカを授けるところを間違って皇太子につけてしまったところ 半年後に国王は48歳で死去し マヘンドラ皇太子が新国王になりました  1990年の民主化の直前のお祭りの時は 山車がクマリの館の石像のコマイヌにぶつかり壊れてしまい、周りの人々は口を振るわせて神様をなだめました  その後の民主化で国王の権力は大幅に縮小されました  2000年のお祭りではクマリの山車の車輪が壊れる事故が起きました  私はそれを聞いて何か悪いことが起きなければと思っていましたらその後あの王宮銃撃事件が起こったのです  これからのネパールの政治体制がどうなるか不透明ですが 私はクマリの処遇が一番気掛かりです    (投稿 佐藤喜市 氏)

 

 

     ネパールの民話 12話から14話  今月は新年にちなみ もののはじめの物語を3つお聞かせします

 

12 鼻ペチャ

 

ネパールのシンドゥパルチョークではヒョウのことを鼻ペチャとも呼びます  今日はそのいわれをご紹介しましょう  昔ヒョウは木に登ることができませんでした  ある日 ヒョウはネコに木登りを教えてくれと頼みました  ヒョウが高い木に登ったとたん ネコはさっさと逃げて行きました  ヒョウは木から降りることができず 色々努力をしたのですが ぎこちない姿勢で落っこちてしまいました  うつぶせのまま落ちたので鼻を打ってしまい それ以来 ヒョウはネコに永遠の復讐を誓いました  こうしてヒョウは鼻ペチャと呼ばれるようになったのです  

 

 

13 キジの目はなぜ赤い

 

「その道を行っちゃいけないよ」

とキジのカリジャはトリのピウラに言いました  

 

「あっちには罠があるんだ」

「へー どこに その罠を見てみたい」

とピウラは言いました  そこでピラウは 不覚にも自分が罠にはまるまで罠を探し続けました  

 

「へっへっへ だんな あんたは正しかったよ」

とカリジャはピウラの苦境を笑いました  

 

「だんなが私の忠告を聞かなかったのは 実に正しい」

そしてキジのカリジャは大声で 目が赤くなるほど長い間笑い続けました  

 

その日からキジの目は赤くなったのです  

 

※ちなみにRed Eyesは赤信号の意味があります  

 

 

14  ニワトリはなぜ時を告げる

 

この世の始まりの時 天には火もなく 地上には光もありませんでした  

 

ある日 神はニワトリに火を取って来るよう命じました  さらに神は ニワトリに地上にいる間は 雑音を立てないよう注意しました  ニワトリは地上に舞い降り 人間に火を求めました  

 

人間は「まず最初に私に何かをくれると約束してください」と言いました  

 

ニワトリは 火を得るために出されたこの願いを 天の神に3度目伝えました  

 

それから 人間はニワトリにいちど鳴いてくれと頼みました  

 

「私にはできない」とニワトリは言いました  

 

「神は私に鳴かないよう命じられたのです」

 

ニワトリは どうしたらいいかわかりませんでしたが 結局大声で長く鳴きました  

 

そのときはちょうど真夜中を過ぎたころでした  

 

ニワトリはまた鳴きました  2度目のとき一陣の突風が吹き荒れました 

 

ニワトリはまた鳴きました  3度目のとき東の空にかすかな弱い光が輝きました  

 

ニワトリはまた鳴きました  4度目のとき地上は終日光で満たされました  

 

 

編集と文責 渥美よりこ カトマンドゥ在住

2007年1月16日

 

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