――― NBSAネットニュース2008年1月号 ――――

 

ネパールの視覚障害者を支える会(NBSA)の会員 支援者の皆様

 

新年あけましておめでとうございます  

NBSA会員の皆様をはじめ日常よりNBSAにご理解を頂き 多大なるご支援 ご協力を頂いております皆様には すがすがしい初春をお迎えのことと心からお喜び申し上げます  

早いもので ネパールの視覚障がい者を取巻く一般の人々と 政府機関へ社会的弱者に対する意識を啓発することを目的に設立された本会も6年目を迎えることになります  

ネパールでは一昨年暮れに政府とマオイストは「恒久平和の実現に向けた合意文書」に署名し 昨年6月中旬まで制憲議会選挙の実施が決定された(一旦6月20日に決定された)あと 技術的理由により2007年11月22日に延期されたが いまだ選挙は行われていない  この間9月にはカトマンドゥ市内の3か所において同時爆発テロ事件等が起こり いまだ政情は安定していないようです  

昨年は 皆様のご協力により 鹿児島市において チャリティーコンサートと現地活動報告を開催 大盛況でした  さらに在ネパール日本大使館のホールで盲目の音楽家 木下航志君 のチャリティーコンサートを開催 立ち見が出るほどの大盛況でした  

 今年は 役員改選の年でありますし 本会も6年目になりますので 本会の組織等を再検討し 新しいNBSAに衣替えする予定です  

 最後になりましたが 皆様 本年もご協力 ご支援のほどよろしくお願いいたしますとともに 本年が皆様にとりましてご健康ですばらしい年になりますよう心からお祈り申し上げまして 新年の挨拶といたします  

NBSA会長

 

●活動報告:ボランティアさんありがとう  ボランティア感謝祭カカニ1泊旅行  

2007年12月15日 国際ボランティアデーにちなんで NBSAカトマンドゥは慰安旅行を企画した  おんぼろバスで デコボコのくねくねした道を北に向かって1時間半走ると そこはもう別世界  壮大なヒマラヤ山脈を目の当たりにし 誰もがはっと息を飲んだ  ガイドブックによれば 日が傾き山々を赤く染めると 一時の華やぎ そして青白き静寂  あらゆる生き物を拒絶するかのような光景に思わずぞっとする とある  標高2073m カトマンドゥからたったの23Kmなのに都会の騒音が一挙に退く  あまりの寒さに皆一瞬たじろいだが キャンプファイヤーが始まると誰からとなく 男組と女組のかけ唄が始まった  さすがみんな若い 闇を突く炎のような歌声が流れると踊りも始まった  ボランティアさん1年間ありがとうございました  来年もどうぞよろしくお願いします  そんな意味をこめて カトマンドゥの視覚障がい者10名が少額だが実費でこの慰安旅行に参加してくれた  2007年最後の行事にふさわしい楽しく そして実り多い旅をした 

 

    ネパール関連ニュース

 

ネパールの祭日 減ったり増えたり

ネパールの公式な暦はネパール独特のビクラム暦で これまでクリスマスや西暦の新年は ほんの一部のクリスチャンや外国人しか祝わなかった しかし今回のそれは大きく違っていた  クリスマスには極少数派のネパールのクリスチャンのミサがTVで報道された  元旦は夕方5時からタメル地区への車両の乗り入れが禁止され 英語のハッピーニューイヤーを祝う若人の群れが溢れかえった  そして12月30日はグルン族の大祭が急に国民の祭日になり官庁が休みになった  その代わり国王 皇太子の誕生日と1月15日の大寒の入りがカットされた  この分でいけばチベット暦の正月は無論 その他の少数民族系の正月も祭日になるかも知れない

 

12月25日 つり橋落下 20人が死亡 負傷は数百名 

ネパール西部スルケット郡のベリ川に架かるつり橋が崩落した  現場は首都カトマンドゥの西方約380キロ  崩落時 約400人が橋の上にいたとみられる  付近の宗教関連行事の開催地に向かう途中 大勢の者が行楽気分で 橋の上に必要以上に長く留まってしまい定員オーバーになってしまったのが原因

 

12月27日 ブッド元パキスタン首相暗殺 ネパールでの反応

ネパール時間午後8時の各局のテレビニュースで本件が報道され 翌日カトマンドゥでデモが起こった  特に過激だったのは婦人団体であった  ブット氏は 女性の人権意識が低い南アジアの希望の星  ネパールにおいてはいわばアイドルであった

 

12月26日毎日新聞 カシミヤ未使用なのに70%と表示 販売会社に排除命令  

衣料品販売大手のユナイテッドアローズが カシミヤ70% と表示したストールにカシミヤが全く含まれていなかったとして 公正取引委員会は26日 景品表示法違反で排除命令を出した  公取委によると 同社は昨年6月ごろから カシミヤが全く混入していないネパール製のストール6品種を店舗やインターネットで1万2000〜2万円で販売した  内部調査で未混入が発覚 今年10月に公表し自主回収していた  

 

さて 本物のカシミヤ パシュミナ 偽物の見分け方を披露します  

本物は透かしてみると 超極細の毛羽立ちが見られる  さらに毛羽を少し抜いてライターなどで軽くいぶしてみる  偽物はすぐに化繊臭い匂いがするが 本物にはこれがない 

 

1月11日 エドモント ヒラリー氏死去 時事通信

ヒマラヤ山脈にある世界最高峰のエベレストの初登頂に成功したニュージーランド出身の登山家 エドモンド ヒラリー氏が11日午前 心不全のため、オークランドの病院で死去した  88歳だった  英国のエベレスト遠征隊に参加し 1953年5月29日 ネパール人シェルパのテンジン ノルゲイ氏とともに世界で初めてエベレスト山頂に到達した  同年 英国王室からナイトの称号を授与された  エベレスト登頂後もヒマラヤ山脈の数々の山頂を制覇  58年1月には 英国の南極横断遠征に参加し 南極点に到達した  ヒラリー氏は慈善事業にも尽力 60年代にヒマラヤ基金を設立し ネパールでの学校や病院の建設に貢献した  

 

ないものづくしのカトマンドゥ

毎日6時間の計画停電 プロパンガス不足でいまだに暖房器具が使えず  ガソリン不足は早1年近い  1月10日はタクシー会社が大規模なストライキをはった  なにしろタクシードライバーは毎日不特定のガソリンスタンドで2時間3時間給油の列に並ばねばならない  政府になんとかしろ と叫んでも石油が湧き出ることもない  タクシーに乗ると今まで以上ぼられるようになった  そこでヒント 私はタクシーに乗るとまずメーターどおりで行ってくれ そしたら10か20ルピー水増ししてあげるからね とあらかじめ言うとすんなり乗せてくれる  幸い20円か40円の違いでしかない  不当だと思いつつもどうしても乗りたい人は 乗車拒否されるよりましだと思う  

 

ネパールの政変
12月23日
ネパール暫定政府 旧反政府組織 毛派と政権復帰で合意   

ネパール暫定政府と旧反政府組織ネパール共産党毛沢東主義派は 今年9月に政権離脱していた毛派の復帰で合意した  来年の憲法制定議会選挙を経て 連邦民主共和国 に生まれ変わる  約230年間続いた王制廃止の政治的合意がようやく整った  

 

1月12日 選挙日程決まる

暫定政府は制憲議会選挙を4月10日に行うことを決定した  日本では可能だがネパールで3ヶ月以内に体裁が整うのだろうか  7政党が一致団結しないと国王派の巻き返しも考えられる  慎重にそして穏便に事を図ってほしい  

 

    新連載 グルカ兵の物語 

 

始めに グルカとは  ネパール語のゴルカが 英国式でグルカになまったもの  もとネパール中部の小勢力  1768年ネパールを統一して現ネパールゴルカ王朝を建設  1814から16年 イギリス東インド会社と戦って敗北  後 ゴルカ兵はイギリス軍に属するネパール人傭兵になり 19世紀中葉以降 インド内外のイギリス植民地で活動し 現在に至るまで勇猛さで知られる 

 

君が国に帰ったら 

我らのことをこう語ってくれ  

君達の明日のために 

我らは今日を捧げるのだと  

コヒーマ戦没者記念碑  インド

 

第1話 賛辞

ブルブッダールへの賛辞として

それは石碑に刻み込まれていた

前線には指揮官 背後には勇猛なグルカ兵たち

彼らが戦っている間 

弾丸はうなり続けていた 

アフガンの砲兵隊によって

最後の兵士が撃墜されるまで

 

この墓石は、カルンゲの砦の中でも 丘の一番高い地点にある  1814年10月30日と11月27日の2回の激しい襲撃の後 英国軍により 攻略され完膚なきまで倒壊しつくされた  

Kalinga記念碑デラドゥーン  インドの銘

 

カリンガ もしくはナラパニで知れ渡っているこの砦は 高い樹木に覆われた500フィートの丘の上にあるまさに天然の要塞であった  その外部の防御壁は12フィートの高さの二重の荒削りの丸木から成り 丸太の間びっしりと石を詰め込んであった  

砦が包囲された1814年の10月末から11月にかけて そこには約600人の男と女 さらに数人の子供達もいた  彼らのほとんどがグルン族 マガル族で バルバドラ タパの指揮下にあった  英国側のコマンドはロバート R.ジリップス卿  その指揮の下に4000人の兵士そして武器は20丁の銃  

この攻撃で 月の終わりに要塞が瓦礫となり 攻撃に耐えなれなくなったとき バルバハドラ そして約70人の防衛隊は闘いながらも退却した  

この戦闘で命を落としたグルカ兵は520人  英国側は総指揮官を含む31人 その他750名であった  第87歩兵隊少尉ジョン シップはこの包囲攻撃をこう記した  

私は 一生のうちこれほど手堅く 勇敢な者たちを見たことがない  彼らは決して逃げず また 同僚達の死骸が兵士らの周りに散らばっていても 彼らは死をまったく恐れる様子がなかった  

 

編集と文責 渥美よりこ カトマンドゥ在住

2008年1月16日

 

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