――― NBSAネットニュース2008年2月号 ――――

ネパールの視覚障害者を支える会(NBSA)の会員 支援者の皆様

寒い冬の日々が続きますが みなさんお元気でしょうか  この時期になると 街のあちこちで大きなかごに積んだみかんが売られます  ネパール語でスンタラ 何となく懐かしい小粒でロマンを誘います  事務所付近には自転車でスンタラを積んだ南ネパールの果物売りがやってきて 誰かが必ず買いに行き 日向ぼっこをしながら食べます  昼間は室内より屋外の方が暖かいカトマンドゥでほっとする憩いの時間を楽しんでいます  ただし小粒のスンタラの袋に30粒くらい種が入っているのがちょっと厄介かな? 

活動報告:
1月13日 やっと完成点字情報誌タッチ7号と8号  点字印刷機が壊れて3ヶ月 発行が遅れていたが何とか印刷機の修理が終わり 現在タッチ9号の編集に取りかかっている  

1月18日と19日 親の会カトマンドゥ ミーティング やっと実現
参加者 ネパールガンジ カスキ バラ地域周辺の父母代表 カトマンドゥ親の会代表7名  この会議は2007年5月に開催を予定していたが カトマンドゥの親達の理解を得られず 何度も話し合いをもってやっと開催できたもの  首都に住む人も地方に住む人ももっと情報を交換し合い 助け合ってほしい という願いをこめて計画したもの    ネパールは都市と地方貧困格差がもっとも大きい国のひとつで 教育のレベルにも格段の差をみせている  カトマンドゥは衣食住 教育や交通網も抜群に恵まれている  
目的 情報の共有化 助け合いの精神 自助努力 地方の視覚障がい児童の現状の把握

反応 様々な障がい児の親の会やNGO団体代表者を講師にし 色々学び情報が拡大し 特に地方の人々に有意義であった  ポカラ市を中心にしたカスキ郡の代表がもっとも活発でレジュメまで用意してきた
成果と効果 カトマンドゥの親の会に会場 宿泊 食事等の手配をまかせた  最終的にNBSAが仕切るほかなかったが 親達で何か行動を起こしたのは初めて  親の会を運営していくのはカトマンドゥの親しかない と少し意識が芽生えたようだった
交通の便の悪いネパールでは 地方の人たちは前日の朝に地元を出発し 会議の翌朝帰路についた  

ネパールの民話 英語点字版 完成
昨年12月号でご紹介したシルバーカレッジの部活KSC英語点字グループが ネットニュースで2年間紹介した ネパールの民話を英語点訳し 当地に送ってくださいました  NBSAの職員 利用者は大喜び  装丁もすごくきれいです  ネパールの文学が海外で しかも点字で出版された例はなかったし 想像もつかなかった 大変名誉だと思い感動しました  本当にありがとうございました  KSCの活動紹介は ネットニュース12月号 輝いています日本の中高年 を御覧ください  

ミニコラム 読者の投稿
 
カトマンドゥの防災を考える  
私は 奈良をはじめとする歴史的町並みを活用したまちづくりを展開する市民団体で活動しながら 奈良の地域文化歴史情報を発信する小さな出版社で 各種情報誌の発行する仕事をしています  都市防災 特に地震対策は 京都 奈良でも大きな課題になっています  私も何度か都市防災のシンポジウムに参加しています  日本では木造家屋が多いため 火災拡大防止と 建物の耐震補強が大きなテーマとなっています  ネパールの町には煉瓦を積んだだけの家が多いようですね  地震時の崩壊が気になります  鉄筋 鉄骨での補強が必要ですが いかに安く簡易に補強工事をできるかの工法開発が課題のようです  また 住民の防災意識の高揚と 自主防災組織 日本の消防団のようなもの 作りから始める必要があると強く感じました   二十軒 起夫

ネパール関連ニュース
1月21日  聖なる川バクマティに沈んでいった小さな命
ガンジス河の源といわれるカトマンドゥのバクマティ川は ネパールでもっとも汚染されている川でもある  ありとあらゆるゴミがこの川に捨てられていく  寒い冬の最中 ひとりの小学生が川に落ち 警官が勇敢にも裸でゴミの川に飛び込み 行方を探索したが見つからず ついにクレーンで引き上げたときは子どもの息は途絶えていた 多くの市民が果断な警官に敬意を払ったが あまりに汚い川とゴミ処理について非難の声も上がった

1月22日 ヒラリー卿の葬儀 カトマンドゥポスト
ニュージーランドの国民的英雄で 今月11日に心不全のため88歳で死去したエドモンド ヒラリーの国葬が22日 同国オークランドで営まれた  葬儀の模様はテレビ中継を通じ ネパールや南極基地にも伝えられ 偉大な登山家 冒険家であると同時に慈善活動家でもあったヒラリー氏の死を悼む行事が各地で催された  カトマンドゥにおいてはネパール観光局が追悼式を行った  現地では英国 米国 オーストラリア インド カナダの高位高官500人 ならびにアイルランド ロシアが参列  5人のシェルパが棺を担ぎ 伝統的な祈りのスカーフをたむけた  1953年5月 ガイドのテンジン ノルゲイ  シェルパとエベレストを征服したヒラリー卿は ネパールの開発を支援するために40年以上活動を続けた  

1月22日と23日 ひさびさのカトマンドゥ ゼネスト バンダ ほぼ暴動状態
ガソリン プロパンガスの大幅値上げの発表の翌日 学生団体が中心になって大規模集会やゼネストがカトマンドゥ盆地で突発的に起こった  両日とも市内各地で古タイヤを燃やす黒煙が舞い上がり  武装警官が取り締まることもできぬまま 一般市民を含む抗議行動が展開され 23日午後5時に政府が燃料会社に値上げを見送らせ どうにか収まった  しかし 公共バスやタクシー料金の大幅値上げも予定されていて市民生活はますます苦しくなりそうだ  

2月8日 チベット正月(日本の旧正月仏教系)が前日公式な国民の祭日に決定された NBSAの事務員 カンチャンは仏教徒のタマン族なので 昨年は有給休暇扱いだったが今年は祝日 ヒンドゥー教徒のボランティアが知らずに来たが 一日事務所を閉めた  

停電の日  本格的に水や電力が不足する5月にはほど遠いのに カトマンドゥはすでに 午前と夜間毎日8時間の停電が実施されている 当事務所は週2回 朝の8時から営業しているが この停電一番評判が悪いのが 正午から午後4時までの時間帯でまったく仕事にならない  次に悪評なのは午後6時から10時までの停電  暗がりで炊事をして食べ テレビを観ずにそのまま寝てしまう市民が多い  節電には効率的だが 人口増加につながらないか心配だ  しかし独身者には午後8時から午前零時までの停電は 早寝をするので健康によいようだ  今年も地球温暖化で山岳地方の降雪量が少なかった  電源や水の供給は政府に問題があるが フロンのフの字も知らない途上国の一般人がこんなに苦しんでいると思うと 先進国から来た者には複雑な思いだ  

ネパール時の動き
制憲議会選挙4月10日に実施されるのだろうか 国王の反撃があるのではないか  

カトマンドゥ盆地のみならず 各地で爆弾テロに近いような事件が起こっている  特にネパールとインドの国境地帯のマデシ系の人々による 市民を巻き込んだ暴力行為は国王側の差し金と噂されている  未だにインドから陸路でネパールに入国するのは危険だ  しかしやっと選挙熱が湧いてきて 各政党遅ればせながら行動に出始めた  毛沢東主義派がいち早く選挙運動や選挙に関するトレーニングなどを始めているが 彼らもまた議席獲得に必死である  特に党首のプラチャンダは 首都のカトマンドゥとマオ派の基盤ロルパから 右腕のバブラム バタライはゴルカから立候補する計画で 共に手堅い線を狙っている  選挙前に大きな事件が起こらないよう祈るばかりだが 誰がネパール初代の大統領になるか 新勢力か保守勢力か 国民は大きな関心を寄せている

グルカ兵の物語 2 ゴルカ兵を讃える著書から引用文

大英帝国の王冠のもと ゴルカ兵と共に軍務に就くことは 誰にとっても忘れられない共通した特権だった  それは現在も同様である  
メアリー女王の第10番目の嫡子 グルカ部隊のライフル銃器兵 B.R.マラリー大佐  

1915年11月イオニア海ガリポリの戦場で 3日間猛威をふるった吹雪の中 B部隊第16の1キャプテン ワトソン スミスは ライフル部隊のグルカ兵の足を見て唖然とした  スミスはこう描写している  彼らのつま先は凍りついていた  白くなった足首はすでに腐って無感覚なようだった  この間 私はかれらが不平不満を漏らすのを聞いたことがなかった  ゴルカ兵たちは常に陽気で 冗談を飛ばす余裕があった  これ以上の賞賛に値するものがあるだろうか  
もうひとつの実例を挙げると 3日間 常に私に伴っていたハスタピール プンのことだ  彼は決して陽気とは言えず 取り立てて鋭い男でもなかった  30日目に私はハスタピールの足を見てぞっとした  彼の足は凍傷で壊疽し黒くなっていた  それでも彼は私に何も言わなかった  ハスタピールのケースは決して例外とは言えない  概してグルカ兵の典型だった  
サー ジェームズ ウィルコックス  第一次世界大戦中 フランスにおけるインド部隊の司令官

英国人とグルカ兵の間には共通の気質見出せる いずれも正直で 清廉であった  
サー フランシス タッカー将軍

ガリポリ半島でグルカ兵達は実に貴重な存在だ  彼らが一番輝いていたのは 高原の南西の低木の茂る山腹だった  背の低いゴルカ兵達は ガリポリで彼らの体重に匹敵する金の重さと同等な価値があるかもしれない  
サー イアン ハミルトン将軍が 国務長官 キッチナー卿に宛てた書簡の抜粋 1915年3月25日付け

グルカ兵はユニークな特性を発揮する  彼らは勝利の時には前進し  敗北の時には突撃する 彼らの魂に退却はない
英陸軍大佐 ダルジト シン

どんな部隊にもこんな新兵がいる  初めての戦闘に直面したとき 新兵達は騒音 混乱 血 自分が恐れを抱いていることに気づく  その反面 彼らは肉体と精神的な消耗に起因する不衛生 嫌悪感やストレスの増大に気づかない  しかし グルカ兵は新米でさえ明るさを失わず 平静な態度で戦いの恐怖や肉体的な苦しみをもとより受け入れているように見えた  たとえそれが敗戦であっても 彼らの士気を損なうものは何もなかった 
バイロン ファーウェル  グルカ 世界で最も素晴らしい歩兵の歴史より

2008年冬のスタディーツアー 応募者が下回り今回はキャンセルさせていただきましたが 3名の方が個人旅行として当地を訪問してくださいました  冬の旅はちょっとかったるい と思われた方が多かったようです  気候のよい秋に募集を考えています  どうぞよろしくお願いします

編集と文責 渥美よりこ カトマンドゥ在住
2008年2月10日

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