――― NBSAネットニュース2008年3月号 ――――

ネパールの視覚障害者を支える会(NBSA)の会員 支援者の皆様

 

電力 燃料不足で活動大打撃  

これでもか これでもかと毎月同じ事を書いていますが 本当にすべての物資が底を尽きた という感じです  毎日の停電はさっぱり改善されませんが NBSAのトーキングブック 幸いにして2007年の作成目標はとっくに達成しています  でも公共バスのガソリンが切れてしまい せっかく仕上げた新刊を借りに来てくれる人が少ないのです  当然カセットテープの返却も遅れます  早期の回復が望まれます

 

さて NBSA日本の事務局が4月1日をもって鹿児島から千葉に移転します  鹿児島に事務局を置かせていただき 4年になりました  その間に鹿児島市でチャリティーコンサートを2回 鹿児島北ロータリークラブの国際援助や地元の方々による広報活動など 鹿児島の方々に本会を盛り上げるため様々な尽力をいただきました  この場を借りまして厚く御礼申し上げます  事務局の新住所は下記に記しましたので御覧ください 

 

●活動報告 定例活動以外こんなイベントもしました

2月11日 日本に渡ったネパールの短期留学生と ランチオン ミーティングをしました

日本点字図書館の招聘で 日本とマレーシアでPC研修を受けた短期留学生に会いました  途上国の人々は 自分が外国で身につけた技術をあまり他の人にシェアしない傾向があります  しかしネパールの留学生は 意外に仕事などを通じて他の人にPC技術を伝達していました  なかには音声PCの講師 インターネット カフェを開業した人もいてうれしい限りです  当日は日本料理レストランで日本式の カツカレーを食べ みんな日本を懐かしがっていました  

 

2月23日 聴聞会と日本人学生交流会

カセットテープ ライブラリー事業の一環として 私たちはユーザーのヒアリングを行っています  朗読技術や録音状態をユーザーに批判してもらい 今後の活動に役立たせるのが目的です  そして何より大切なのは ユーザーがどんな本を朗読してほしいかを調査すること  今回も人気の的は現在小説で ネパールでベストセラーになった本をいち早く音訳してほしいとい要望が上がりました  ちなみに2007年度のヒットNo.1は ネパール王室のスキャンダルを暴いた小説 次にヒットラーの伝記 インドの時代もの小説 恋愛小説でした  朗読や録音技術はあまり進歩がない まぁまぁだと評価されました  もう少し努力します

 

同日 ネパールでスタディーツァーを行っている 日本福祉大学の学生19名と先生が本会のカトマンドゥ事務所を訪問してくれ NBSAの活動の紹介をしながら 国際交流会をしました  始めは両国の学生間で距離があったのですが  ティータイムをはさむと会話も弾み 互いに打ち解けあい 楽しい時をすごしました  日本側のメンバーに2名聾唖の学生がいましたが  ネパール語手話と共通する部分があり 両国の手話通訳者を交えて気持ちが通じあえる という素晴らしい経験をしました  また 視力に障がいをもつ学生安田君は 旅行中にも関わらず 壊れてしまった PC内臓の点字メモ器を点検し さらに日本に持ち帰りすぐに修理に出すなど短時間ながらもおおいに活躍してくれました  最後はみんなでシーユー・アゲイン こんな楽しい時間をまた持ちたいものです 

 

生活自立訓練会断念 今年の1月もしくは2月に予定していたプロジェクトですが  極端な水不足 調理用の灯油が不足しているため 本年度の施行は中止しました  要望の高い髭剃り 調理やアイロンがけなど エネルギーを必要とするためです  

 

●ミニコラム 

忘れじの人々 2002年 初秋

私のような極々普通の日本人がネパールに始めて訪れれば それは強烈な体験と申せましょう  上海経由でカトマンズに向かったのですが ダサインというお祭りの直前だったせいもあり機中は出稼ぎ帰りの男達と その手荷物で満杯  積んである酒瓶を全てからにする勢いで飲み干し タバコも吸い始めて アテンダントに怒鳴られても 騒ぎ続けます  元来酒好き お祭り好きには親近感を持つタイプですから 眠るのは諦めて結構面白がって傍観しておりましたが これが忘れじの人々 第一陣でした  
空港に到着 初めて日本とは違う外国に来た 異国って感慨に耽りつつ 入国許可をもらうためビザを米30ドル現金で買わされました  現地在住の渥美さんと笑顔で再会 車で迎えに来て下さり市内に向かう車中 窓から見える夜の景色 街並に茫然  色も香りも体に伝わる響きさえも 既知の世界とは全く違うのです  道路沿いは電気の明かりが少ないからか 液体のような闇の中に浮遊している家や商店が御伽噺の影絵のように続きます  気が付けば怪しく光る動物の目  正体はなんと野良牛  ネパールでは牛は神様だから殺せないので 乳が出なくなった牛や 餌が買えず飼えなくなった牛は誰でも捨てるしかないとのことで そこら中に牛が徘徊しているのです  との解説を聞いて 神様なのに捨てられる  納得するもなにも それより先にお話し合いとか歩み寄りなんて在り得ない空気を察して こうして私のネパールの旅が始まったのです  

投稿は お祭り大好き人間 新井美代子さんでした

 

●ネパール関連ニュース

2月10日 インド ネパールの貧困層500人から違法に腎臓摘出 首謀者医師をネパールで逮捕  

インド人医師を中心とするグループが 仕事を紹介する などとだまして貧しい労働者らを拘束 腎臓を摘出し富裕層や外国人の患者に移植を繰り返していたことが明らかになり 容疑者の医師が7日 逃亡先のネパールで逮捕された  違法な腎臓移植は1月下旬 インド北部の警察に労働者から通報があり発覚した  捜査の結果 複数の医師やブローカーが組織的に関与し 過去8年間だけで少なくとも500人が腎臓を奪われたとされる  クマール容疑者らは 腎臓摘出の見返りに被害者1人につき2000ドル前後を渡していたが 移植を求める外国人らにその10倍の値で手術を行っていた  

 

2月19日 どこから湧いて出たのか 国王復帰宣言

この日はネパールの民主の日 国民の祝日であった  前日より国王が大衆の面前で 立憲君主制か共和政化を国民に問う演説をすると 前日から大騒ぎしていたのだが 結局何事もなく 恒例の首相演説だけに留まり 国民の多くはほっとしたようだ  このような話の出所ははっきりしないが 前々から国王が復権を図っているという噂が流れている 選挙が近づくに連れ この噂はやぶさかではなくなった  

 

3月2日 バクタプルのクマリ引退

ネパールで生き神クマリとしてあがめられている11歳の少女が 家族からの要請を受けてクマリを引退した  この少女は9年間にわたり 神聖な存在として信仰を集めていたが 昨年に伝統を無視して米国を訪問したとして一部の宗教当局から批判を受けていた   クマリの伝統を管理する団体の幹部は 少女がクマリの地位から退いた理由として 少女の家族が独自に宗教的な儀式を行うことを希望しており それにはクマリ引退が必要だったと説明した  同団体は今後 少女の後任を探すとしている  

 

ガソリンの不足を解消しようと 自転車 特に充電式電気自転車が市場に出始めた  同時に空気もよくなると なかなか評判がよいが 普通の人力自転車に比べかなり高いのが欠点だ 

 

最近のネパール映画ヒット作 カグベニ MTVの先駆者ブシャン・ダハール監督の映画デビュー作第一弾  ネパール初デジタルハイビジョン 人気歌手の登用など かなり金をかけた映画のようだったが内容がいまいちだった  ストーリーはいたって単純  ネパールの秘境ムスタンの桃源郷 カグベニが舞台  出稼ぎでマレーシアから帰省した村では裕福な青年Aと 村に住む貧しい青年Bがひとりの女性を巡って葛藤する  出稼ぎ帰りの青年は事故であっさり死んでしまうのだが それを目の当たりにした貧しいほうの青年Bは 自分が密かに彼の死を願ったせいだと悩む  というのはひょんなことから青年Bは人の欲望を満たす 古いサルの手のミイラを手に入れたからだった その後青年Bの周りには不吉な事故が続発する  はい 残りは映画館かビデオでお楽しみください 

ところで 10年ほど前になるが フランス人が作成した キャラバンという映画が人気を呼び 国際的にも高く評価された カグベニはその線を狙ったようだが この映画は 国際的に評価されるだろうか  ところで映画キャラバンの印象は 筋書きはあまり面白くなかったが景色が抜群にきれいだったこと  そしてヒマラヤ牛のヤクの活躍に誰もが魅せられた  あの映画はまさにヤクが主役だったような気がする  

 

実はこのカグベニ鑑賞会を有志と共に行った  ネパールの視覚障がい者は 映画や芝居を鑑賞する機会がほとんどないので ボランティアの指導も兼ねて 映画館に行った  ネパールには音声ガイドなどないので ボランティアが状況を口頭で説明 描写した  ネパールの映画館では 騒音をたてても 携帯で会話をしても 周りで文句を言う人がいないのが普通  誰からも苦情が出なかった  今回の映画はせりふが少なかったので解説がとても大変だったが 次回は歌などが入った ネパールのドタバタを見に行こうと思う

●ネパール時の動き 

吹き荒れた南の風 カトマンドゥ盆地を兵糧攻め

ネパール南部インドに国境を接するタライ平野に住む人々を 総じてマデシと呼んでいる  総人口の40%を占めるタライの農民達は これまで中央政界に登場することなく暮らしていたが 昨年から民主化の波に乗りネパールからの分離独立を目指す叛乱同然のゼネストを頻繁に行ってきた  黒幕には国王がいるともっぱら噂されていたが 2月中旬から始まった2週間のバンダは 確かに絶大な効果を発揮した  ガソリンとガスをインドからの輸入に頼っているネパールでは タライの住民が道路封鎖を行えば 燃料が一気に切れる  特に人口密度が高いカトマンドゥは大打撃を受けた  数度による政府側との話し合いに決着がついたのは2月末  これまでのタライゼネストでは最長だったと記憶する  燃料不足はもとよりインドへの未払いも多々あり 相対的に常に不足気味であるが とりあえず解消の傾向にありそうだ 

 

さて ゼネスト解除と共に 4月10日の選挙に向けての会議が開催され何とか合意をみた  国王政権が倒されて始めての選挙だが 史上初の完全比例代表制度が導入される  これによるとマデシの人々の議席が30%を占める  また緒民族 女性 社会的弱者の割合なども考慮されるのだが  障がい者の部門では 立候補者の大半が教員など知的職業につく視覚障がい者で 言葉の出る者だけが優先されるのか 真のアドボカシー 権利の擁護とは何かを巡って ネパールの全国障がい者連盟では今 熾烈な議論が展開されている  

 

●グルカ兵の物語 3 友情

通常 戦時中に友情が芽生えることはめったになく また戦後に敵同士 お互いを褒めあうこともない  しかしながら バイロン フェアウェルはこう書いている  1814年から16年にかけて ヒマラヤ山麓の裾野の丘で展開された戦いの中 英国人と小柄で勇敢なモンゴル系の山岳民族との間に友情が芽生え それはなんと165年間以上も続いたという   

 

また こんな話もある 戦争の初期 フレデリック ヤング大尉はグルカ兵によって捕らえられていた  山岳民族が包囲している最中 大佐はインド平原出身の兵士たちを逃がしてやった  他の英国軍人も簡単に逃げられたのに なぜ逃げなかったかとゴルカ兵達はヤングに尋ねた  

俺は逃げるためにここまで来た訳ではない と英国人は大胆にも答えた  グルカ兵士たちはその言葉に感銘を受け 我々は あなたの指揮のもとなら仕えることができる と賞賛した

 

ヤング大尉は 捕虜になっている間 彼を捕らえた人々の言語 風習や習慣を会得し 学べば学ぶほど グルカ達を賞賛するようになった  

 

釈放後 ヤング大尉は英国陸軍に 仇敵だったゴルカ兵の雇用を推薦した  1815年4月24日 英国政府はヤングが自ら部隊の編成を行えるよう許可を出した  ヤングは捕虜収容所を訪れて 3000人の志願兵を徴募した  こうして 最初のゴルカ兵大隊 シルムールが誕生した  時を経て シルムールはキング エドワード7世 直属のグルカ兵による射撃隊になった  

 

●事務局からのお知らせ

2008年4月1日よりNBSA事務局が鹿児島から千葉県へ移転します

新事務局住所 〒2840005 

千葉県四街道市四街道1−9−3  視覚障害者総合支援センターちば内 NBSA
電話 043 424 2501  FAX 043 424 2486

事務局担当者  高梨 憲司 どうぞよろしく

 

●編集者から休刊のお知らせ  4月は総会のため一時帰国しますので NBSAネットニュースの4月号は休刊とさせていただきます

 

編集と文責 渥美よりこ カトマンドゥ在住

2008年3月9日

 

NBSAhttp://nbsa.sakura.ne.jp/ 

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