――― NBSAネットニュース2008年6月号 ――――
ネパールの視覚障害者を支える会(NBSA)の会員 支援者の皆様

本当にいきなりですが ネパールは連邦共和制の国になりました  無論 前からこういう話は出ていたのですが 何しろ現在主導権を握っているネパール共産党毛沢東派のアイディアです  中国でさえ偉大な指導者毛沢東は過去の人  分厚いビロードのベールをかけておきたいところでしょう  ネットニュースの読者の中には ネパールの毛派が国民に銃口を突きつけ 力ずくで権力を奪った と思った方が多いと思います  が 圧倒的多数の国民が もう王様はいらないよ とすんなり共和制に賛成したように見受けられ また国を立て直すのはこの人たちしかいない とマオ派を支持した感じです  まさに21世紀の神秘的な出来事とも言えましょう  5月28日国会の決議でネパールは国王制が廃止され ネパールは連邦共和国となりましたが さて どうやって 誰が音頭をとるか事前に決められなかったため 今頃になって連日連夜すったもんだしています  準備不足というか あまりに無計画とあきれますが ともあれネパールの人民が選んだ道です  他国の人々がとやかく言う筋合いではない  まずは温かく見守っていきましょう 

現地活動報告 
定例活動のカセットテープライブラリーのほか 5月下旬に カトマンドゥ近郊で歩け歩け大会を予定していましたが 天候不順の為中止  雨季明けの9月以降に再度チャレンジします  片道4時間の急坂を登ります  日頃体を動かす機会が少ない人々です マンツーマンのガイドが必要  今からボランティア大募集です  

ネパールのマッサージ指圧師事情 
日本では今年3月に第16回あん摩マッサージ指圧師 はり師 鍼灸師の国家試験の発表があり 視覚障がい者の合格率が前回より上回ったそうだ  当カトマンドゥ事務所を訪れてくれる 日本人の旅行者によく質問されるのが ネパールの視覚障がい者もマッサージ師などで身を立てていますかということ  残念ながら皆無  推定250万人の視覚障がい者でマッサージ師として働いているのは20人足らず  それもリラックスを目的にしているので 治療とは程遠い  約15年前に日本の視覚障がい者団体が 日本で何人かのあん摩マッサージ指圧師 はり師 鍼灸師を養成し 技術を身につけてもらい祖国ネパールに送り返したのですが  これで身を立てている人は残念ながらひとりもいない  彼らが帰国した頃のネパールは マッサージの効用を知らなかったため セックス産業の一部と考えられがちであった  また そこには人の体に触れることへの偏見が今以上に大きかったと推測する  ヒンドゥー教では カーストの違う人の体に触れることができない  または触れさせないとう厳しい戒律がある  日本の国家試験に受かった留学生達は 今 他の仕事につ・u桙「ているが 帰国当時どんなに失望したことかと想像する  こうした偏見を破ったのは外国人達で 今 観光都市ポカラでは半年間のトレーニングを受け 20人のネパールの仲間が元気に働いている  
   
ミニコラム  シリーズ 忘れじの人々  お母さん笑って  
私は2001年から1年間ネパールに滞在する間 知的障がいを持つ子ども達の通所施設に関わっていました  そこで出会った16歳のS君  いつもにこにこと優しく 他の生徒や先生達 訪れる私達を思いやってくれる様子がとても印象的でした  S君がそうした態度を身につけた背景には 家庭の事情があったのです  S君のお父さんは 2人目の妻 日本流に言うと愛人でしょうか?をつくり あまりこちらの家庭を顧みなくなっていたのです  S君には弟がいますが 弟の養育費としてたまに金銭的援助があるという状態  お父さんはS君の知的障がいをも こちらの家を疎んじる理由にしているとか  
お母さんが何とか仕事を見つけて 生活を支えていました  
ネパールでは日本以上に単身女性への視線は冷たく 以前は舞踊や歌の仕事もしていたという明るいお母さんも つい疲れた憂鬱な表情を見せる事がありました  そんなお母さんを少しでも元気づけようと S君はさりげない心づかいをするようになったようです  
そして弟も まったく同じような優しい行動を見せていました  あれから6年 20歳を超えたS君とご家族は、仲良く暮らしているのでしょうか  宮下和佳

ネパール関連ニュース
− 三浦雄一郎 75歳の挑戦最高齢ならず
ネパール人のミンバハドール シェルチャン77歳が5月22日に世界最高齢でエベレストに登頂した  三浦さんが登頂したのは5月26日  実に惜しい  しかし登頂の感激はひとしおで 三浦さんは抜けるような青空で 宇宙にも手が届きそうだったと語った  そして 80歳でチベット側からチョモランマに登りたい と新たな目標を掲げたそうだ

− チベット独立派250人 反中デモで逮捕 6月5日 
カトマンドゥの中国大使館前で亡命チベット人らが 中規模デモを組織し約250人が逮捕された  オリンピックが近づくにつれ こうした運動はさらに激化すると予想される  

− 超物価高騰にあえぐカトマンドゥ市民
値上げを続けていたガソリンがついに1リットル当たり100ルピー 約200円に値上げされた  ネパールでの外貨獲得の手段は安価な労働力 つまり個人的な出稼ぎしかない  輸出する物産などほぼ無いに近いくせに むやみやたらと輸入品を求める  特にカトマンドゥ市民にその傾向が強い  物資を運ぶガソリンが値上げされたため ほぼすべての物の値段が 一気に30%も上がった  その根本的な原因は ガソリンの輸入国インドへ料金を支払っていないから  政府がネコババを決め込んでいるのが理由だろう 新生ネパール このあたりをきちんと清算しないと 国民が飢え死にする  しっかりしてほしい


− お札からも消えていく王朝の歴史
国王の座を追われたギャネンドラ氏や 01年の王宮乱射事件で死去したビレンドラ元国王の肖像を印刷した旧紙幣から 世界最高峰のエベレストや国花のシャクナゲをあしらった新紙幣への切り替えが早くも始まっているが このほど徹底的に旧紙幣を回収して燃やし 新紙幣に代わる  この燃やすというのがなんともネパール的  紙幣収集家の間で高値がつくだろう  無理か?

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ネパール時の動き
− 5月28日 ネパールの新憲法制定に向けて4月に選出された制憲議会 定数601 は28日深夜、連邦共和制への移行を圧倒的多数で決議し 即日宣言された  会議場周辺で国王派と見られる一部の反対勢力の妨害があったが 即逮捕され 大勢の市民が新生ネパールの誕生に深夜まで酔いしれた   この宣言とは 1 ネパールを独立不可分の連邦民主国家とし 国民主権とする 2 王族の特権を一切廃止し一般市民とする 3 大統領職に関する規定を考慮しながら暫定憲法を修正する 4 民主国家発足をめぐる殉死者に敬意を示し 5月28日を共和国日と定める  5 政府は迅速に王宮を国立博物館とする措置を講じるの5項目 
 
− 6月11日 ネパール前国王が王宮を退去し カトマンズ郊外に転居
元国王のギャネンドラ氏は11日午後八時半 カトマンズ中心部にある王宮を退去し 郊外の邸宅に転居し 239年続いた王制は名実ともに幕を下ろした  退去前に王宮で記者会見した前国王は 王制から共和制へ移行を決めた憲法制定議会の決議を尊重する と語り 国外に亡命する意思のないことも改めて強調した  またギャネンドラ氏は2001年の王宮での虐殺事件に自ら言及して 関与を全面否定した  この期に及んであえてこの事件に触れてみたが 国民の疑念が晴れるかは微妙な線だ  転居先の邸宅は 共和制移行で政府が国有化した旧王家所有不動産のひとつ  また氏の求めに応じてボディーガードを75人もつけるなど 一般市民になった人へのサービスにしては過剰だ と市民の間では不満の声も上がっている  

− 6月13日 王室虐殺事件 再調査なるか
ネパールの次期暫定政府を主導する共産党毛沢東主義派のナンバー2であるバッタライ幹部は 2001年に起こった 当時のビレンドラ国王ら王族10人が虐殺された事件について 次期暫定政府の発足後 調査委員会が組織されるだろう と述べ 再調査が行われるとの見通しを示した  世界を震撼させたあの事件 おそらく迷宮入りと見なされていたが 真相が明らかにされる日は本当にやってくるのだろうか 

− 6月15日 ネパール前国王の王宮ナラヤンヒティが博物館に
ギャネンドラ氏の転居に間を置かず 珍しくすばやいアクション  ナラヤンヒティ王宮博物館 としてオープンした  王家の旗に代わってネパールの国旗が堂々と翻った    これからこの建物は国民の財産になった とコイララ首相は演説  共和制ネパールの門出を祝った  一般公開は3ヶ月先になるそうだが  重要な歴史的遺物の一部がどこへ行ったのやら見当たらないという話もある  また トリブバン元国王が 独裁者として名高いヒトラーから贈られた 1939年型ベンツなどが展示される予定で このあたりも何となく時代錯誤な感じが否めない 

大統領と首相は誰に?
こんな華々しい歴史的な転機を迎えたネパールであるが 未だにトップが決まっていない 大統領は全権をもつ国家元首にすべきか それとも儀式専門のセレモニアル大統領にするかでかなりもめたが 大統領権限抜きで行きそうだ  そうなってくると首相のポストが最重要なってくる  選挙で第一党となったネパール共産党毛沢東派は 大統領ポストを譲る替わりに 首相席を狙い  いやいや首相は我が党から出す と老舗のネパール会議派 や 第三党の統一共産党が譲らない  こんな大切な時期に なぜ事前にシナリオを準備して置かなかったのだろうか  いっそのことジャンケンかアミダで決めたら? 

グルカ兵の物語 5 何処も我が家
もし君が僧侶になるなら どんな土地でも住みやすければ そこが君の祖国になるだろう  
このチベットの諺は グルカ兵の特性を理解するひとつの鍵と言えましょう なぜなら彼らは異文化の人々を容易に受け入れ どんな環境にもすぐに順応してしまえるからです  つまり 地球上のどんなところにいてもゴルカの兵隊達には そこが彼らの祖国になるのです  
グルカ兵達は 世界中でもっとも素晴らしい歩兵の歴史を築いた とバイロン フェアウェルは書いています 
  
若いゴルカ兵達は 自分達とまったく違う習慣にも容易に順応できました  1920年代 ニーゲル ウッド大佐はアムリットサルで 初め ゴルカ兵達とあえて距離を置いていました  ゴルカ兵達が市場に行くと 市場の人々は彼らに攻撃的な態度で接していたのが理由です  ところがゴルカ兵達は そんなことは一向に意に介さず いつもニコニコしていたので 数ヶ月すると市場のシーク教徒たち自身がゴルカ兵を好きになっているのを見て取れました 
 
..ブルース将軍は 時々グルカ兵をヨーロッパ連れて行きました  彼らは瞬く間にフランスの農夫 スイスのガイドスコットランド人の狩猟番人 英国の女中達と仲良くなりま
した とも言っています  
1962年 ゴルカの銃撃隊1の10小隊は しばらくの間 北ボルネオのシブに駐屯しました  伍長のD.P.リンブはこの隊を訪問した思い出をこのように語っています  
兵士のジバンは 暇なときには輝く星の下で近所の可愛い女の子とおしゃべりをしたり 笑ったり 散歩したり ちょっとした装飾品を探してやったりしていましたよ  数日のうちに 現地の人たちは 我々を好意的に見てくれるようになりました  
遺憾ながら 数日後に 香港から我々を救援する2の6部隊が到着したのですが  そのことを知ってうちの若い兵士達がかなりショックを受けたようです  シブ島へ行くのは難しい しかしその後に去るのも難しいと言ったところでしょう  シブの人々のライフスタイル ユーモアのセンス 風俗や習慣は 我々のものと非常によく似ていて私の心をひきつけました  ついに救出船が到着しました  我々を魅了してやまなかった土地を離れる段になると ハンカチなしではいられなくなり たくさんの人々の目には熱い涙が浮かびました  別れは一部始終穏やかで また荘厳に行われました  あの島の記憶は  我々全員の胸に深く刻み込まれました  

事務局からのお知らせ
何時もNBSAネパールの視覚障害者を支える会 の活動にご協力いただき ありがとうございます  本年の4月から事務局を担当させていただくことになった高梨といいます 
 長い活動経験を有する前任者の上田さんのようにはできませんが皆さんのご支援をいただきながら 少しでも極貧の中で頑張っておられる現地の視覚障害者のために 微力を捧
げたいと思いますので どうぞよろしくお願いいたします  日本でも原油価格の高騰に伴う諸物価の値上がりで悲鳴を上げそうですが途上国にとっては一層深刻な問題です  NBSAの今年度の活動費も大幅な増加が見込まれ 事務局は厳しい懐事情にあります  活動に支障を来たさないよう 会の趣旨に賛同いただける新規会員の入会促進に努めていきます  皆さんのお知り合いにそのような方がおられましたら ご紹介いただけると幸いです  
さて 出費の多い時に誠に恐縮ですが 今年度の会費を下記にお振込みいただきたく お願い申し上げます  ご存知の通り年会費は6千円ですが ご寄付も喜んで承りますので 上記の事情にご理解を賜りますようよろしくお願いいたします  なお 今年度より事務局移転に伴い振替口座番号が変わりましたので ご注意ください    
会費の納入方法:郵便局に備え付けの 郵便振替口座払込取扱票を用いて 
口座記号番号00190−7−762775 加入者名 ネパールの視覚障害者を支える会 3万円未満までは80円 それ以上は290円の振り込み手数料が必要です  

なお 会員の皆さんには本年の4月に鹿児島市において開催された総会のご報告と新しい会則を会報と共に郵便で7月中にお送りさせていただきます    
NBSAネットニュース 編集と文責 渥美よりこ カトマンドゥ在住
2008年6月16日

NBSA:http://NBSA.sakura.ne.jp/ 
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