――― NBSAネットニュース 2008年8月号 ――――

ネパールの視覚障害者を支える会(NBSA)の会員 支援者の皆様

残暑お見舞い申し上げます  カトマンドゥは盆地のせいでしょうか 雨が降るととたんに涼しくなり 26度くらいまで下がることがあります  お蔭様で毎日快適に過ごしています  
さてネパールの正式国名が ネパール連邦民主共和国と改められました  また ネパール初の大統領がやっと決まりました  色々と問題は残っていますが 主権が国民の手に渡ってから 前途に少しでも光明が射していると感じられます  貧困削減 教育問題など早々に着手しなければならない問題は山積みですが ここ1年の間に人権擁護も問題のひとつに取り上げられるようになりました  ネパールにおいてはカースト 女性 障がい者への差別がそれです  これらは人々の意識に基づくものですから 真の民主主義が根付くには世界中どこでも 長い年月がかかることでしょう  しかし ネパールは2年の計画で新憲法を制定する予定です  少なくとも5千年の歴史をもつヒンドゥー教に基づく 時勢にそぐわない様々な差別が撤廃される可能性が大いにある  期待はずれに終わらないよう NBSAも様々な障がい者団体と手を携えて 歩んで行きたいと思っています  

現地活動報告 
1 定例活動 カセットテープ ライブラリー 作成と貸し出し
2 隔月雑誌 タッチ 11月号の編集開始
タッチの編集のスタイルを変えました  
これまで様々な新聞記事を集め それに障がい者団体の動きなどを加えて編集をしてきましたが 2ヶ月に1度の発行なので 記事の内容が古い ラジオニュースと重複するなど批判されました  そこで 視覚障がい者の団体が発行する雑誌 ネパール全国障がい者連盟が発行する記事を要約し 点字で発行することにしました  現在はタッチ10号を編集中です  次号からはこれまで以上に情報誌的な要素が強くなります  タッチ編集委員 プララダ タパ
3 定例役員会議  議題 8月下旬予定の生活自立訓練について

ネパールの活動現場から  昨年の雨季同様 閑古鳥が鳴く雨季の事務所です  右手で傘をさして 左手に白杖を持つ  バックやカバンはあきらめて リュックサックにしたらどうですか と勧めてきたせいか  学生などはこだわり無くリュックに切り替わっています  でも女性と年配の人はやはりこだわりがあるようです  とはいえ私自身も年配で 実はほとんどリュックを使っていません  さて カセットテープ マガジンのユーザーには テープのダビングをしている間 待合室でオセロをしてもらっています  先月日本の事務局に運んでもらったものです  若い訪問者が多いせいかすぐにルールを覚える  でも根気が少し足りないのか 途中までくると あーこれはだめだ 負けた と思いこむ  オセロの面白みは 最後にどんでん返しがあること  これがわからないうちはまだまだ未熟  渥美 よりこ  

あまりに悲惨  南ネパールの視覚障がい児教育  
ここ数ヶ月 ネットニュースで何度かインド国境地帯に住む人々 マデシの政治参加権についてレポートしました  本日は マデシの中でも最も発展が遅れている カピルバストゥー郡の盲学校の現状をお伝えします  現場レポート シュレス ラジュバンダリ  

私はカトマンドゥ盆地出身の視覚障がい教師で 3年前に家族と共にカピルバストゥーに移り住んだ  カピルバストゥーはシャカ族の居城があった非常に古い土地で 未開のジャングルなどが多数残り 不可触民ダリットが住民の多くを占める  差別的境遇に置かれ続けているので 教育の重要性もわからず 就学率が極めて低い  このような場所なので 学校自体少なく郡に3校しかない  教室はいつもすし詰め状態で 私が働く学校は 小学校と中等高等学校を併用していて生徒数は1900人にのぼる  が 義務教育の小学校5年を卒業できる生徒はその半数にも満たず 高校で学ぶ生徒は20名足らず  学年が上がるにつれ 生徒数が減少していく  私が受け持つ中学2年の教室には100名の生徒が学んでいる  他に盲学級も担当しているが  こちらはあまりに就学率が悪く 赴任した3年前とたいして変わりがない  それでも 少しでも勉強させようと思う  親は盲学級へ通わせるが なかなか長続きしない  ここでは点字を教えるより まず きちんと決められた時間に生徒が来ることから教えていかねばならない  
特に意識しているわけではないが 民族による学力差が激しい 山岳民族はひとりもいないが  被差別民族出身の学童の学力はいたって低く これから彼らの能力を向上させるのも私の仕事だと心している  しかし 遺憾ながら これらの民族間の争いも多く 特にマデシの人々とイスラム教徒の対立は 日を追うごとにエスカレートしていきそうだ  以上 

シュレスさん 報告ありがとう  日本の教育制度はどうかと言うと 視覚 聴覚障がい児童の義務教育制は 昭和24年から開始されました  これはヘレン ケラーさんが前年の昭和23年に2度目の来日をされた際 ヘレン ケラーさんによる強い働きかけによるものだと聞いています  

忘れじの人々  山村の宿の思い出
8年前の3月 私たち4名はカトマンズから80kmほど離れている支援地を訪れた  この村はランタン国立公園の入り口であるドンチエに通じる途中にある  数十年前までは宿場町として栄えていたが 車道ができてからは 皆この村を素通りして行くので すっかり寂れてしまった  雑貨店と兼業で営んでいるこの村に1軒残った宿に私たちは一週間お世話になった  宿の家族は主人ご夫妻と 村の高校通っている娘さんの3名で 私たちを心からもてなしてくださった  娘さんは日本語を話すことができ通訳をしてく
れるので 会話も不自由なくでき 温かい交流がなされた  私たちは支援の現場を視察したり 村の学校を訪れ授業を参観したりして 一週間はまたたく間に過ぎてしまった   お別れの前夜 宿の夫人と娘さんが私たちの部屋にきて 涙を浮かべて別れを惜しんでくださった  私も胸がいっぱいになり ただ泣くばかりでお別れの言葉もいえなかった  

食事の後でみかんの皮をむいて ひとつのみかんを私たちに分けてくださった宿のご主人 私たちのために三度の食事を心をこめて用意してくださった夫人 なめらかな通訳で心を通わせてくださった娘さん  私はいつも懐かしく思い出しています  有難う貴方たちのことは一生わすれません  中川 洋子

さて 中川さんはどのような支援をネパールにしていたか聞きました  下記は中川さんの返答です  
この度は、私の拙い文にもかかわりませずご採用いただきまして感謝しています  私がしていた支援のことですが 主に学校に行って勉強したくても家庭が貧しいために 学校に行くことのできない子どもに学費を支給していました  この支援は4月に他界した友が支援地を訪問したときに このような子どもが多くいることを把握し日本に帰ってきてすぐ通信を発行して支援を呼びかけていました  私も通信を見て15年間に7名の子どもの支援をさせてもらいました  そのうちに支援者が増えて 代表と一諸に支援地に自費で行き 子どもたちの学んでいる様子や 現地の状態に接して来るなど支援が深まってきました  亡くなった友の目標であった 学校に行きたくても行くことができない子どもを一人でも多く助けて学ばせたい という願いが通じ 多くの支援者ができたのです  そうして生き生きと学ぶ子どもたちから多くの感動をいただきました 
 
在日ネパール大使館からのお知らせ
平成20年7月16日から観光ビザの規制が変わります 
今までのシングルビザはなくなり マルチプルビザのみ発給いたします。滞在可能日数は15日30日90日間があり それぞれ料金も変わってきます  マルチプルビザ滞在可能期間内であれば何度でも出入国可能です  

滞在期間15日間 東京または福岡で取得 3000円 大阪で取得 3300円 ネパールで取得 US25ドル 現金
滞在期間30日間 東京または福岡で取得 5000円 大阪で取得 5500円 ネパールで取得 US40ドル 現金
滞在期間90日間 東京または福岡で取得 1万2千円 大阪で取得 1万3千2百円 ネパールで取得 US100ドル 現金
なお 大阪領事館では10%の手数料がかかります  申請書も希望滞在可能日数を選ぶ欄が加わりました  
注意 しばらくの間30日間のマルチプルビザのみ発給いたしますのでご了承ください  

ネパール関連ニュース
7月17日 日本政府の道路改修計画発表
カトマンドゥ市とバクタプル市を結ぶ幹線道路は1本しかない  常に渋滞状態でそれと共に排気ガスが蔓延しているし 交通事故も多い  そこで 日本政府はネパールに対し3ヵ年 総額26億円の無償資金協力を行うこと決定し このための書簡の交換が行われた  この計画が成功した暁には 東部テライ平原から首都カトマンズ市に向かうための通過道路になることが予定されている  ん だが待てよ 確か10年前から道路拡張の計画があって 道路沿いの樹木を切ったり 一部住民を立ち退かせた形跡が残っている  当時の計画は日本が資金援助を出したか否か すっかり忘れたが あの援助金はどこに流れたのだろう

7月23日 ヨン様メガネ収益一部をネパールに寄付
ペ ヨンジュンが ネパールの子供たちへのチャリティー活動に協力する  CM出演する眼鏡市場の社会貢献活動に賛同 メガネフレームブランド「I wish」を監修  1本につき378円の収益を 日本フォスター プラン協会を通じて ネパールの予防接種支援プロジェクトに寄付する  ヨン様はチャリティー活動に熱心で 新潟県中越地震などアジア各地の大規模災害時に多額の寄付をしているそうだ  

8月2日と3日 南アジア地域協力連合 SAARC の首脳会議が スリランカの都市コロンボで開催された  加盟国は インド パキスタン アフガニスタン バングラデッシュ スリランカ ネパール ブータン 及びモルディブの8カ国 食糧問題やテロ対策、経済協力などを中心に協議された   

8月6日 がんばれネパール
北京オリンピック開幕に先駆けて ネパールからも五輪代表団が開催国に向った  今回もネパールはメダルを取れそうにないせいか ネパール人の多くはオリンピックに興味を示さない  ひょっとしたらメダルが取れる という種目はテコンドーらしい  他に卓球 水泳 体操 柔道などにも参加する予定  北京に向った選手の人数はわずかだが 役員の数は膨大で 一番話題になったのは元文部大臣の出席  この人は前回の選挙で落選している  さてパラリンピック出場者予定者は5名  選手は未定だがアテネの時より増えることになるだろう  パラリンピックはネパールで同時中継しないようなので ネパールの選手が出たら皆さんで応援してください 

ネパール時の動き  
7月21日 ネパール制憲議会による大統領選挙の結果 ネパール会議派のラム バラン ヤダブ氏 61歳 医師が過半数を獲得し当選した  当初 第一党の共産党毛沢東主義派らの推薦者が有力視されていたが 第2 第3政党の反発をくらい 熾烈を極めた結果敗れた  そこで毛派は新政府に参加しない方針を一旦打ち出したものの 大統領は他党に譲り 首相などの重職をマオ派で占めようとする動きも出た  実際 国民的支持を受けているマオ派との対峙は 他党にとって事実上不利に展開する可能性があり マオ派から首相が選任される公算が大である  

その直後 副大統領に選任されたP ジャー氏がインドで広く通用するヒンドゥー語で就任宣言を行い  多くのネパール国民の反感をかった  ジャー氏は 母語はマイタリー語であるが これを理解する国民が限られ さらに公用語のネパール語よりヒンドゥー語の方が流暢に話せるため と事情を説明したが 学生団体を中心に各地で反発抗議集会が勃発し 過激な道路封鎖が行われた  この反発活動は延べ4日に至り ついにジャー氏が折れて 国民に謝罪することで収まった  

しかし 多民族国家のネパールでは 多言語を包括して 公用言語をネパール語とするのはかなり難しい  今回はインドが静観していたからよかったものの 今後ヒンドゥー語以外の言語についても 同様な論争が展開されるかも知れない   例えばこれがネパールでチベット語を母語にするネパール人が副大統領に選任され チベット語で宣言をして いたらどうなっただろう  爆発的な勢いで増え続ける欧米人の仏教帰依とチベット仏教保護者から 国際的な大反発が起こっていたかも知れない  ネパールは様々な意味で常に微妙な状況に置かれている  

グルカ兵の物語 7 ククリのナイフ 前編
ククリはネパールで最も一般的な切断道具で、ククリがない家はまずない と云われています  ククリの鋼鉄製の刃渡りは長さ12インチと幅4インチ  刃と木製の把手は山の様にカーブしています  ククリは鉛筆を削ることに始まり 樹木の伐 採草刈からヤギの屠殺に至るまで すべての用途に使われます  

東部ネパールでは ほとんどの男の子がいつもククリを持ち歩いています  兵士達も皆 常にククリを携帯しています  1815年という昔から ククリは英国軍グルカ兵の制服の一部になり 英国の陸軍士官さえ時々 ククリを携行していました  

ジム コルベットは ジャングルの強盗を捜す警官隊に同行した模様を このように書いています 「私は数百ヤード離れた場所でヒョウがアクシスジカを仕留めた雄たけびを聞いた  ここではまともな食事にありつけるチャンスがありそうだと思った  とはいえ 無発酵のパン チャパティに少しおまけがつく程度で とても空腹を満たような代物ではなかった  ヒョウの雄たけびを聞いて 私はフレディにククリを貸してくれと頼んだ  フレディは 君がほしがっているこの地面に転がっている代物は何だい と聞いた  そこで私は これはヒョウがたった今しとめたアクシスジカで 腿をカットするのにククリが必要なのさ と答えた」  

一方 ネパール人自身が武器について話をすることはありません  無数の大げさな話 野生的で多彩な物語は 外国人から伝わってきたものなのです  ある物語によると グルカはいったんククリを鞘から抜くと 敵が血を流すまで鞘に納めず 万が一失敗した場合は自分の指を切り落とすということです  また グルカが好きな3つのもの それは余暇のフットボール 祝杯の時のラム肉 それに軍隊生活が退屈なときは気まぐれに 誰かれなしに頭をぶちのめすことである とインドの陸軍士官は書いています  

1900年の義和団事件の際 英国とドイツの軍隊で編成された国際部隊が上海に配置されました  ドイツの指揮官ヴオルターゼーは ベルリンへの至急便で 彼の部下に派遣されていた英国軍に所属するライフルの名手 2人のグルカ兵について報告しました  ヴオルターゼーは ドイツ人が手を触れられなかった多数の地雷をつないでいるワイヤーを切断するときに グルカ兵がククリを巧みに使って成功したことを称賛して ドイツ皇帝がグルカに勲功を与えるよう進言しました  9月号に続く

事務局便り  事務局担当 高梨憲司
すでに立秋が過ぎたというのに猛暑が続いておりますが 会員の皆様 協力者の皆様にはお変わりございませんでしょうか  会員の皆様には大変遅れましたが 先月 今年度の総会報告と会報をお送りさせていただきましたが お読みいただけましたでしょうか   最近の諸物価の高騰は 私たち庶民の生活に大きな影響を与えておりますが 現地ネパールではガソリンが全く手に入らず 販売していないガソリンスタンドの前にもガソリンを買い求める客の長蛇の列ができているとのことです  世界的な苦境は最貧国ほど影響が大きく またその国の中では弱い立場の人に一層のしわ寄せが行っているものと思われます  ネパールではようやく政権が安定しつつある時だけに 一刻も早く諸物価高騰の沈静化を願うばかりです  

先日 TBS テレビ東京 の番組製作を担当している会社から電話取材を受けました  番組の趣旨は 世界の子どもたちとトラコーマ という 途上国の子どもたちに多い感染症による眼疾患を考えるものでしたが ネパールにはトラコーマによる失明が多いということで 情報を集めている内にNBSAのホームページにたどり着いたのだそうです   意外なことからも 私たちのささやかな活動がひろまって行くことを感じさせられました  
事務局としては こうした小さな積み重ねが やがて大きな支援の輪に広がることを期待しています  会員の他に 障害のある方で 協力したいけどどうも年会費6千円はなー と思われる方のために 年会費3千円で協力会員を募ることとしました  
総会における議決権はありませんが 毎月のネットニュースや現地の情報をお届けさせていただきます  事務局にご連絡いただければ 振込口座取扱票をお送りいたします  どうぞご協力ください  

NBSAネットニュース 編集と文責 渥美よりこ カトマンドゥ在住
2008年8月11日

NBSA:http://NBSA.sakura.ne.jp/ 
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