――― NBSAネットニュース2008年9月号 ――――
ネパールの視覚障害者を支える会(NBSA)の会員 支援者の皆様
また祭りの季節が巡ってきました 年がら年中 祭りや法事をしているようなネパールですが 特に9月と10月は 収穫の時期でもありお祭りがひしめいています それより前の8月16日は立秋 ジャナイプルニマの儀式が行われました この日を境にネパールは秋に入ります 他に 立春 立冬など季節に関連した祭りは 最高位の占星術師が決定するのですが これがまた驚くほどよく当たる ちょっと不思議な感じがするのですが それもそのはず インドの天文学を基礎にした占いだそうです 日中は暑いカトマンドゥ盆地ですが 朝夕はめっきり涼しくなり すでに長袖が必要になりました 日本は残暑が厳しいと聞きますが どうぞご自愛ください
●現地活動報告
9月は定例活動のカセットテープ ライブラリー事業 点字雑誌の発行のほかに 若い視覚障がい者を対象にした 生活自立訓練会を行いました
会場は キルティプル市の公立学校の教室 訓練を受けた人は 16歳から23歳 男子12名 女子4名 2名を在宅ですが残りの人たちは地方出身で 現在様々なところで寄宿しています 皆 これまでこうした訓練を受けたことがない人たちでした
初日 よその家に呼ばれたときのマナー
室内の移動 食事の作法 落としたものの探し方 お金の管理方法 署名のしかたなど これらのほとんどが国際的なルールに基づいていますが ネパール独自の歩行方法 タクシーやバスの乗り方など NBSAで研究したものも披露しました
2日目 身だしなみと裁縫の第一部
女子の簡単なメークアップと男子の髭剃り 1年ほど前大学生を中心に行ったときに 髭剃りで顔を切ってしまった人がいたので 救急セットも持参し 今回はかなり時間をかけて指導しました 幸い顔を切った人はいませんでしたし 男子のボランティアにも充分注意を払ってもらいました その後に 髪油を髪に刷り込んで 髪をとかして仕上げました ネクタイの結び方 ネパールでは女子も高等学校でネクタイを締めるので みんなに覚えてもらいました ここで気が付いた点は 多くの人が受け取ったものをよく触らない ネクタイの裏表を確かめずに絞めている人がいたということです
昼食を挟んでちょっとだけレクレーションで歌を歌い後 裁縫の第一部にかかりました ピアノ線の糸通しの使い方から始めましたが 大変に難しく かなり時間がかかりました その後は運針縫いでこの日は終わりました
3日目 裁縫とアイロンかけの予行練習
前日の裁縫の続きで 運針縫いが終わった人から 小さなバックを作ってもらい 様々な形のボタンをつけました 特にワイシャツやブラウスのボタンは 万国共通なのでどこへ行っても自分で付け替えができるよう しっかり学んでもらいました この日の最終時間に アイロンかけの予行練習をしました この日はアイロンに電気を通さずに行いました
4日目 アイロンかけ本番
昨日の続きですが 今度は実際にアイロンを加熱して行うので 多くの人がはじめ怖がりました ここでちょっと厄介なことが起こりました 校舎の電源がショートしてしまったこと 修理がうまく行かず アイロンの台数を減らして 時間がかかったがなんとか小グループ単位でアイロンをかけ終わりました 本日のプログラムはこれまで 後に軽食を挟んで簡単な閉校式を行い その後は歌ったり踊ったりしながら 楽しく流れ解散になりました
調理は常に要望の高い訓練ですが 食材などの物価の高騰 調理燃料の灯油が極端に不足しているため 今回は実施できませんでした
●マレーシアと日本で研修を受けたラム チャンドラ君 23歳がネパールに戻りました
僕は以前から何度も日本での研修に応募し 今回 日本点字図書館主催の研修にやっと選出され マレーシアと日本で31日間研修を受けることができました マレーシアでは視覚障がい者のためのパソコンの技術を 日本では障がい者福祉を学びました 両国ともネパールとは比較にならないほど経済発展を遂げた豊かな国なので ひたすら驚かされることばかりでした しかし 僕の感じた両国は 生活スタイルはもちろんのこと 人々の気質が何となく違っているなぁという印象でした
まず マレーシアの人々は 日本人よりオープンです ちょっと聞き取りにくいが 英語がどこでも通じます 会話はマレーシアの方が便利だったのですが いざ困ったことが起こったら 英語のハンディーがあっても 日本人の人々のほうが親身になって助けてくれる気がします
日本に5泊しかしていませんでしたが 出会った人々はとても上品な感じがしました 見ず知らずのコンビニの店員ですらとても丁寧です 僕は日本語がわからないのですが 会話や討論をするとき 日本人は最後まで相手のことばに耳を傾けますね ネパールでは ほんの些細なことでも相手と意見が食い違うと 話の途中でも相手をさえぎり 自分の言い分を最後まで押し通してしまう 日本がアジアで最高に発展した理由は 相手の意見を充分に聞き、それを参考にするというルールがあったからだと思います それから 誰もが規則をきちんと守ること これも我が国は十分に見習う点だと思いました ただ 人々があまりにプライベートな生活を望み 孤独を感じるのではないか という気がします 職場においても 熱心なのはよいのですが あまりに会話が少なすぎるように思いました
短い日本滞在でしたが NBSA事務局の高梨さんが遠いところから出向いてくれ 日本の居酒屋に連れて行ってくれました 僕はそこで初めてお酒を飲みました なんと その店には点字のメニューがあってびっくり 日本のバリアフリーは おそらく世界一だと思います 点字ブロック 様々なところでの音声ガイド 驚くことばかりでしたが ネパールは日本の百分の一にも達していない 研修は有意義だったけどそれを思うと 少々悲しい気持ちになります
●忘れじの人々 付け焼刃教師 M先生
1997年7月 私はカトマンドゥのビソバサ キャンパスに わずか47歳という若さで入学した この大学を直訳すると世界言語大学になるが 日本人向けネパール語学校といえるほど邦人学生が多かった また ネパールに長期滞在し観光ビザが切れたので 学生ビザで1年を過ごそうという外国人向けの学校でもあった 日本人についで多かった学生は 往年のヒッピーに憧れたレトロチックな欧米人 そして少数派の韓国人 さらにネパールに経済進出を始めた中国人やマレーシア人など 奇抜な面々が集まっていた
教師もなかなか個性的で 初めに私のクラスの担任になった男性教員は もと女子大の政治学科の教授であった 90年の民主化闘争の思い出話に浸ると話しがいつも長く 学生に彼のノスタルジーが通じないと 英語に切り替えてまで熱弁をふるった それでも通じない部分の方が多かったのだが
その後 あまりに日本人が増えすぎたため クラスをもうひとつ開講し新しい教員が採用された それが大学の事務員だったM氏 歳は惜しくも私より若干若かったが 前頭葉はみごとに脱毛していた 白髪は私の方が多かったが 髪の毛の総本数では勝っていた M氏は学生運動の話はしなかったが なぜかネパール語の貧弱さを嘆き お札や書物にスペルの間違いが多いと指摘し かつヒンディー語にもコンプレックスを持っていた 博識なのだろうが何に関しても批判をしないと日が暮れないといった感
じでまるで授業が進まない 実はM先生は外国人向けのネパール語の教科書を持っていなかったのだ そこでM先生は 絵を描いて単語などを教えてくれた カボチャ ナス トマト ジャガイモなど 口は達者な先生であったが 絵は恐ろしく貧弱で ネパール語会話の練習がまるで始まらないまま1年が過ぎ去っていった
おかげで八百屋では 先生の絵を参考に買い物ができるようなったが 高い学費を払い 会話が上達しなかった悪夢がいまだに醒めず 私のネパール語は野菜の買出し以外は下手だと自信をもって言える 聞くところによれば 最近M先生は学部長に昇格したそうな コネとツテがあれば何でも可能になるのがネパール 金を積んだのだろうか それとも カトマンドゥの下町 カリマティの野菜市場に外国人買い物客が激増し その功績が認められたからかも知れない 渥美よりこ
●ネパール関連ニュース
大惨事 南ネパール 集中豪雨によりコシ河流域の大氾濫
9月15日頃から大雨が降り続いた南部ネパールのコシ河流域で 多くの堤防が決壊し 家屋5千戸が倒壊した 死亡者数はまだ発表されていないが 幸いにして人命の被害は少なかった模様 また 被害状況も調査中だが多数の難民が出ており 難民収容所では肺炎 下痢 各種伝染病が蔓延し 堤防の修復には遠い道のりのようだ さらに下流のインドからネパール側に2万5千人の難民が押し寄せていると聞く 今回の被害についてインド側は ネパール側の堤防のメンテナンスが不自由分であったことをネパール政府に非難しているが ネパール側としては インド側が政府間の条約に従わず インドが一部建設した堤防のメンテナンスを怠ったためと主張している まさに水掛け論だ 水は高きから低きに流れるのが自然の摂理で その先のことは深く考えていなかった 島国日本ではありえない問題が生じることがあるとつくづく実感した さて 集中豪雨のあおりを受けて 発電所も支障をきたし カトマンドゥにおいても8月27日より停電時間が 1週間に16時間 さらに9月10日から38時間になってしまった
8月19日 群馬県 館林市において途上国を中心とした フェアトレード 公正貿易の商品販売会が開催された 玉商品は 阪神タイガース公認の トラカムバック ネパールで生産された布バッグで 売り上げの一部がネパールの野生のトラ保護活動に寄付される フェアトレードとは途上国の安価な労働力を搾取せず 公正な交易を実践する考え方に基づいていて 日本ではマニアの間で20年前から愛用されている
8月24日 反中国活動許さない ネパール新首相 胡主席に表明 時事通信
五輪閉会式出席のため北京を訪れているネパールのダハル首相は24日 中国の胡錦濤国家主席 温家宝首相と相次いで会談した ネパールの共産党毛沢東主義派トップで 王制廃止と共和制樹立の立役者となったダハル氏は首相就任後初めての外国訪問 新華社電によると ダハル氏は胡氏との会談で 一つの中国政策を守り いかなる者もネパールで中国の利益を損なう活動に従事することは許さない と表明した
胡主席は ネパールが一つの中国政策を堅持し チベット問題で中国への揺るぎない支持を与えていることに感謝する と述べた
北京オリンピック閉幕 ネパールではいまいち不人気だった
先月号でもお伝えしたが ネパールからも テコンドー 水泳 柔道などの選手を送っていたが メダルにはほど遠い成績に終わった オリンピック種目のトランポリン 乗馬やシンクロなど判定基準が複雑なものはどうも人気がなく ニュースにもならなかった やはりネパールでの人気者は南アジアで盛んなクリケットの国際試合のようである
8月27放映日 元モーニング娘 石川梨華のネパールルポ
テレビ東京系の特別番組 100円玉に愛をこめて 世界の子供たちのために のリポーターとして 石川梨華が7月下旬 ネパールの農村 アマ村に約1週間滞在した 梨華が目にしたのは 不衛生のために子供たちが病や死の危険にさらされる悲惨な生活環境だった ちょうど雨期で 雨水と動物の糞尿が混じって井戸に流れ込み 悪臭が漂っていた 呆然とする石川梨華が村で出会ったのが 15歳の少女サクントラ 皮膚病やポリオに苦しむ弟たちの世話をするけなげな姿に胸を打たれた 夕刊フジによると 梨華の脱アイドルへの第一歩だという どうせならルポに留まらず5年間くらい滞在し 本でも書いてほしかった
さて やっと首相と内閣が決まったネパールである すでにお聞き及びの人が多いと思われるが 新首相は10年以上 山間部でゲリラ戦を続けてきたネパール共産党毛沢東派の党首プラチャンダである 実はこれは偽名で 勇猛という意味があり 本名はプスパカマル ダハルという こちらは蓮のつぼみの意味があり何となくミスマッチ しかし プラチャンダがあまりに有名になり 不自然であるがテレビなどの報道では プスパ カマル ダハル プラチャンダ と必ず通称名らしきものもつけている 日本でも首相や議員を トンちゃん ハマコウ 角栄などと呼んだこともあったが ニュースでも偽名を使うのは何だか奇異な感じがしないわけでもない アメリカ並みに 愛称つまりニックネームと思えばよいのだろう なんにせよ国民から愛される首相になってほしい
●ネパール時の動き
8月15日 制憲議会でプラチャンダこと プシュパ カマル ダハルが共和制ネパールの最初の首相に選出された 紆余曲折はあったものの 577議席中464議席の賛同を得て 王政に幕を閉じたネパールで初の首相に選ばれた しかし 与党第2党の統一共産党が閣僚ポストを不服として入閣を拒否したため 選出されたのは8閣僚のみにとどまった その後 新閣僚の選任にまたまた時間がかかり 9月1日にやっと決着がついたが 国防 経済 法務 情報通信省など国の基礎になる省はマオイスト派によって占められた また 今期から文化国家再構築省という省が設けられこれもマオイスト派である
ちなみに 新生ネパールの首相にいち早く祝辞を送ったのは 隣国インドであった その後 欧州や日本がこれに追随したが 中国は一歩遅れた 数日後ネパール初の大統領が最初の外国訪問地のインドを訪れ 時を移さず プラチャンダは中国の招聘を受け さらにインドに公式に政治的目的で訪問する このあたりの駆け引き うまく行くのだろうか
●グルカ兵の物語 8 ククリのナイフ 後編
ククリのナイフ 第2部
ククリの予備知識 セポイの乱ではククリを携えたゴルカ王朝 現在のネパールの兵士が活躍し 彼らが強猛な白兵戦を行ったことに注目したイギリスは 彼らを傭兵として雇った 凹状に湾曲した刀身が特徴
農作業 家事 狩猟が主たる用途ではあるが 生活に根ざした汎用大型刃物 という性格上 戦闘に使用される場合もある 刀身の形状には 大きく分けて2つの系統が存在する 低地に住む部族の物は 曲がりが小さく細長く薄型で 比較的柔らかめの草木を刈るのに向いている これに対し 高地に暮らす部族の物は 曲がりが大きく幅広で分厚く 斧に近い使い方が可能なように成形されている
1914年11月9日 カルカッタから発行される日刊紙 アムリータ バザール パトリカは 次のように書いています
フランスは流行の発信地と呼ばれ どんな分野の流行もここから始まります 1914年 第1次世界大戦の最中でさえ ある流行がここで始まりました それはグルカの栄光を反映したもので グルカの戦いぶりとその勇気に魅了され フランスの兵士や市民そして特に若い女性が グルカが持ち歩いているククリに非常な興味を示しました しかし ククリはそうそうに見られるものではないし いったんそれが鞘から抜かれると 血を見るまで鞘におさめないと取り沙汰され フランス人はククリを見たいという欲求を控えました
しかし ククリをどうしても見たいという欲求を抑えられなかった人々は 自分の指の先をつめるという行為に走りました この流行は瞬く間に広がり パリのあちこちで指をつめた兵士や市民 若者が出現しました また若い女性の間でも グルカの武器を見た証に自分の指に包帯を巻いて見せるのが流行りました
イタリアのカシーノ山の斜面にある巨大な岩には グルカの第9ライフル隊の記章 斜めにクロスしたククリが刻まれています イタリアはまさにグルカの実力が試される山国で グルカ兵たちは 背後からの夜襲 少人数での行動や素手での戦いなどを見て チャーチル自らが これを武器の妙技 と表現しました
1962年の印中戦争の最中 伝えられるところによれば ひとりのグルカ兵は自分が殺される前に たったひとりで9人の敵を殺したそうな
1982年のフォークランド戦争の最中 スペイン語圏内で かなり野蛮でいい加減な噂が広まりました 彼らが言うには 伝説の殺人鬼 ネパールのゴルカ兵たちは 半月形のナイフで 7秒ごとにひとりの割合で アルゼンチン兵士の首をはねたと
しかし この戦争で ククリが取り沙汰された事件はただの一件だけでした それはグルカ兵がアルゼンチン軍人を護衛していた最中のことで ひとりの囚人があまりに反抗的だったので グルカ兵がククリを抜いてちらつかせたときだけ 囚人は直ちに居直ったという
グルカ兵達はむしろ 自分達が話題になった野蛮な話を楽しんでいました ひとりはこのように考察しています 奴らは俺達を恐れた でも言われたことはすべてやった もし俺達が 評判だけで勝てるのだったら いったいだれが好き好んで人を殺すだろうか
●事務局便り
まだまだ残暑は続いています 酷暑の夏も過ぎてようやく秋めいてきた今日この頃ですが 会員の皆様にはお変わりございませんでしょうか
先日 日本点字図書館の研修事業で来日されたNBSAカトマンドゥ事務所所属のラムさん ロービジョンの学生 社会学専攻 にお会いしました 彼とは去る6月に私がネパールを訪問した時に初めてお会いし 来日したらいっしょに日本酒を飲みましょうと約束していました その約束を果たすべく 8月28日の夜 彼が帰国する前日に東京で会い 2人だけで居酒屋の ワタミ に行きました 彼は何をオーダーしても おいしい と食べてくれましたが 中でも焼鳥がいたく気に入ったようで 盛り合わせふた皿をぺろり 特に驚嘆したのは私が読んでいた点字のメニューの存在です ワタミでは社長の方針で全国の加盟店に点字のメニューが備えられています 日本ではどこのレストランにも点字のメニューがあるんですか と聞きます いや 残念ながら一部のレストランだけです と答えると それでもすごい と日本社会の障がい者に対する思いやりの一端に感激したようでした
彼の夢は大学院を卒業したらダスキンの研修生として再び来日することだそうです 私とはその際の再開を約束して別れましたが また1歩ネパールの人たちに近づいたようで ここちよいひと時でした
●会員異動のご紹介 2008年9月3日現在
新規個人会員 太田浩二さん 副会長 ジャパンネット銀行関係者 高橋恵子さん
事務局担当 川崎 弘さん 事務局担当 高梨憲司 事務局担当
新規法人会員 有 ソフィアメディカル 個人会員から変更
新規協力会員 佐崎貞子さん 小島純子さん
退会個人会員 竹内亮二さん ご逝去されました 心よりご冥福をお祈りいたします
なお 奥様からご寄付を頂戴いたしました ありがとうございました
ご寄付 小松慶子さん 大口 他13件 24万4千円 ありがとうございました
●会費納入のお願い
ネットニュース8月号でお願いいたしましたが 現在のところ会費を納められた方が半数に留まっています 諸物価高騰の折誠に申し上げにくいことですが ご都合のよろしい時に会費の納入をお願いできれば幸いです また 新たに障がいのある人を対象に 協力会員 会費3千円を設けました どうぞお近くの方にご紹介いただければ幸いです 事務局にご連絡いただければ 振込口座取扱票をお送りいたします
NBSAネットニュース 編集と文責 渥美よりこ カトマンドゥ在住
2008年9月11日
NBSA:http://NBSA.sakura.ne.jp/
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