――― NBSAネットニュース 2010年7月号 ―――
ネパールの視覚障害者を支える会(NBSA)の会員 支援者の皆様  

2ヶ月お休みをいただいたネットニュースです  NBSAの総会とその準備 関東にお住まいの会員の方々を訪問するなど 2ヶ月があっと言う間に過ぎてしまいました  日本は梅雨の盛りかと思います  カトマンドゥに戻ったらあまりの涼しさに感激  湿度は高いのですが風も吹き快適そのものです  ネパールの旅行シーズンはヒマラヤ山脈がよく見える秋や早春と決まっていますが 夏の暑さを避けるには雨季が一番    時間がたっぷりある方々にお勧めしたいのが7月と8月のカトマンドゥ  避暑地の出来事も期待できるかも知れませんね  

さて 去る6月19日 千葉県柏市在住の青山理事の協力を得て 本会の総会 講演会と懇談会を行いました  柏市のボランティアさんたちが大活躍してくださり  アットホーム的な和やか雰囲気で大変楽しい 総会になりました  なお総会の内容は 会員の方に次回発行の会報で詳細をお知らせします  

現地活動報告  
5月 6月は正直言って休館状態が続きました  5月のメーデーを境に1週間近いカトマンドゥ盆地内のゼネスト  最大で50万人がストに参加し 外出もままならず事務所も閉鎖しました  その後は猛暑と断水  そして雨季  この季節はNBSAの訪問者が一番少ない時です  こんなときには静かに仕事に専念したいところですが NBSAはなにぶん電気を使う仕事が多く苦労が耐えません  それとボスがいないことをいいことに ボランティア スタッフの無断欠勤が多かったようです  私が日本から帰ったら ユーザーさんからすかさず電話があり 文句タラタラ  皆仕事が好きなのですが うるさいのがいないとサボる  うーん困ったものです 

点字情報誌タッチ 休刊中
宝物の点字印刷機のコードが紛失しました  どこをどう探しても見当たらない  外国製品でネパールでの購入が難しい  場合により日本から取り寄せを検討中です  どなたかネパールにいらっしゃる方がいらしたら ハンドキャリーをお願いしたい所存です  どうぞよろしくお願いします nbsa@mail.com.np

ピクニックの御礼  NBSA現地会長 プララダ タパ
去る5月26日 念願だったピクニックを行いました  現地の役員 日ごろお世話になっているボランティア総勢28人が参加し カトマンドゥ盆地の西にある観光名所ナガルコットに行きました  当日はバスを貸し切り フロントにNBSAの横断幕を張り なかなか派手な光景でした  昼食はちょっと値が張りましたが おいしいし仕出し弁当  参加したのは 顔なじみのメンバーばかりでしたが 事務所の外で会うと もっとリラックスでき 歌が誰ともなしに始まりました  このイベントにはカトマンドゥ市内の視覚障がい者団体も招待し 親睦を深めたかったのですが 都合が悪かったのか どの団体も不参加  しかし これを契機にスタッフとボランティアがもっと親密になったと思います  このような機会を与えてくださり 現地スタッフ一同感謝しています  

ネパール関連ニュース
5月6月とお休みをいただいたネットニュース  今回は山好きには欠かせないシェルパの話 女性初8000メートル峰14座制覇の呉さん「山はわたしの運命」 カトマンドゥの巷の話題生き神クマリの近況など盛りだくさん  途上国開発援助に欠かせない 環境保護のことも忘れずに載せました  

シェルパ文化伝承 岐路に立つヒマラヤ案内人  6月15日フジサンケイ
ネパール東部の高地に住み エベレストなどヒマラヤ登山の案内人として知られるシェルパ族が 文化継承の岐路に立たされている  外国人観光客の増加などで収入が伸び 都市部や国外に移り住む人たちが続出  隣接する山域に住む別の部族が登山隊のシェルパ役を務めるケースも多くなってきた  独自の言語を理解できない部族出身の若者らも目立ち始め 世代間のギャップも文化継承の壁になりつつある  
「言葉が操れない」
5月下旬 ヒマラヤのクンブ地方にある登山ロッジにシェルパ族の親戚同士が集まり 食事会が開かれた  ごはんと豆のスープ 野菜などが盛りつけられた伝統料理ダルバートをほおばりながら 久しぶりに顔を合わせた十数人の間で話が弾む  ただ その輪から外れ ゲームに興じる1人の青年がいた  
「彼はカトマンドゥの学校に行っているから シェルパ語がほとんど分からないんだよ」  食事会のメンバーの1人が こう教えてくれた  公用語はネパール語だが シェルパ族は シェルパ語も話す  青年は言葉を操れず 会合に参加するのもおっくうになっているのだ  「こうやって 村に帰らなくなる若者も多い」と 住民は口をそろえる  

シェルパはチベット語で東の人を意味し チベット高原東側に住んでいた民族が17世紀ごろ ヒマラヤを越えて南側に移り住んだとされ その文化はチベット仏教の影響を色濃く受け継いでいる  
当初は放牧などを営んでいたが 20世紀初めにヒマラヤ登頂に挑んだ英国登山隊が シェルパの高地順応性と登山技術を見いだし 案内人として活躍するようになった  8000メートル級の高峰登頂の歴史を支え続け シェルパなしでヒマラヤ登山は成立しない ともいわれる存在になり 今では部族の収入の8割以上を登山関係の観光業が占める  

「変わる価値観」
かつては各国の登山隊をサポートすることがシェルパとして1番の勲章だったが その価値観が変わり始めている  クムジュン村のパサン シェルパさん32才はこう話す  生命の危険を常に伴う案内人となるのを避け 学業にいそしみ 文化関係など別の道を歩む若者が増えているというのだ  背景には平均収入の増加がある  シェルパ族では近年 より収益が大きいロッジ経営やトレッキングガイドに携わることが多くなった  観光客が落としていく外国マネーをもとに 先進的な教育が受けられるカトマンドゥや国外の学校に子供を通わせる親が少なくないという  
チベットとの交易の中心地でシェルパ族の中心的な村のナムチェでは 地元の小学校に子供を通わせる世帯は全体の4分の1に満たなくなった  独自にはぐくんできた文化を継承する機会が減りつつある  「シェルパの文化がいずれなくなるのじゃないか  そう みんなが心配している」  村のニマ シェルパさん 41歳は表情を曇らせた  

「伝統を伝える動きも」 伝統を後世に伝えようとする動きも出ている  近く結婚するクムジュン村のアン ニマ シェルパさん 28才  シェルパの結婚式は本番までに「相談式」「婚約式」など4回の儀式を重ねるため 費用が相当かかる  簡素化するカップルも増えているが 伝統にのっとった結婚式を挙げ 村の文化を支えたいと 話す  村では文化継承のための催し物も年内に開く  
登山隊の発着地点となるルクラ村で こんな一幕があった  「このシェルパのリーダーは 私が16年前に挑戦したときは荷物運びに過ぎなかった  それが今では大きく成長し 見事にわれわれを頂上に導いた」  エベレストの登頂に成功したコロンビア隊の隊長が こんな表現でシェルパの健闘をたたえた  
荷物運びやガイドを務めたシェルパら数十人から 歓喜の声と拍手がわき起こる  1人が得意げな顔で声を張り上げた  「これがオレたちのリーダーだ」  死と隣り合わせる危険な任務をこなす 登山シェルパ  変化の波が押し寄せる中 その誇り高い伝統はこうして受け継がれている  

京セラ太陽電池 途上国の電化に一役  6月23日8時フジサンケイ ビジネスアイ
京セラの太陽電池が ネパールなど後発発展途上国で存在感を高めている  同社はヒマラヤ山域などの農村にまで入り込んで太陽光発電システムを販売し 無電化村落の電化などに一役買っている  電灯用などの小規模システムのためビジネスとしてはうまみが薄いが 地道な販売がここにきてタイの大規模太陽光発電所(6000キロワット)向けにパネル供給が決まるなど 事業拡大に勢いがついてきた  

「山村の人々は 最初は誰も太陽電池で電灯がつくとは信じてくれなかった  でも 今や多くの村落で太陽光発電システムが導入されている」と話すのは ネパールで京セラの太陽電池を販売するレーザーサン エナジーのタパ専務だ  後発発展途上国の一つに数えられるネパールでは 首都カトマンドゥから一歩外に出ると 大小さまざまな山域に無数の村落が点在している  これらの村々は電化されていないため 屋根には小型の太陽光発電システムを乗せた住宅が目立つ  

人類の未来に必要 地道な販路拡大
レーザーサンは1998年の設立後 京セラ製太陽電池の販売網を拡大  道路も整備されていない山村に足を運び 地道に普及を進めた  当初は年間2000台程度だった販売台数も 2005年ごろから1万台以上に伸びた  これら村落では太陽電池はもっぱら電灯用として使用されるため 発電容量50ワット以下の小規模システムがほとんど  最貧困層には5ワットでLED(発光ダイオード)電球を灯すだけの小型システムも販売されている  太陽電池の購入には政府補助金もあり それを用いると負担額は最低で2500ルピー 約3000円  それでも支払えない人々も多いといい 実質利益なしで設置することもあるという  

ネパール政府 「生き神」への手当を25%引き上げ  7月2日ロイター
ネパール政府は 同国の2ケタに上るインフレ率を考慮し 生き神クマリとしてあがめられている少女への手当を25%引き上げた  宗教行事を管轄する文化省の高官が1日 明らかにした  政府がクマリに支払う手当は 現行の月額6000ルピー 約7000円から7500ルピーに引き上げられ 教育費も支給されるという  神聖な存在として信仰されるクマリは ネパールを訪れる多くの観光客からも関心を集めている  政治的混乱が続くネパールでは経済の低迷が続いており 国民の約4人に1人が1日1ドル以下の収入で生活している  

パタンの神 高卒試験に高得点で合格  7月5日ロイター
ネパールの首都カトマンドゥ近郊 パタンのクマリとしてあがめられる15才の少女バジュラチャルヤさんが クマリとして初めて 高校卒業資格が得られる試験に合格した  クマリは学校へ通えないことから バジュラチャルヤさんは居住する寺で家庭教師に学び 3月に約50万人が臨んだ同試験を受験  今月2日に結果が発表され 家庭教師によると バジュラチャルヤさんは正答率が80%を超えるトップクラスの成績だった  9年にわたって務めてきたクマリを引退するバジュラチャルヤさんは  商学か会計学を学んで 銀行業界で働きたいと将来の夢を持っている  

世界の屋根 水力資源開発めぐり日中印が火花7月7日21時20分経済新聞  
世界の屋根 と呼ばれるヒマラヤ山脈を有するネパールの水力資源開発をめぐって 日本 中国 インドが火花を散らしている  都市部への人口流入で電力需要に供給の追いつかない首都カトマンドゥの停電時間は 1日最大で18時間  戦後のダム建設で培った経験を武器に技術援助を軌道に乗せたい日本に対し 自国の経済発展に結びつけたいインド 中国の追い上げは激しさを増すばかりだ  

登山客でにぎわうカトマンドゥ中心部のタメル地区では毎夜 飲食店などが立ち並ぶ一角が暗闇に包まれる  次の瞬間 ブーン ブーンと激しい音が鳴り響く  発電機の騒音だ  高所得者層は自宅や会社に発電機を常備する一方 多くの市民はロウソクで夜を過ごしている  
ネパールの潜在水力発電容量は4000万〜8000万キロワット  多くのダムを抱える日本の水力発電量が4500万キロワット超なのと比べると その大きさがわかる  しかし 現在の最大発電量は68万キロワット  せっかくの資源は生かされず 停電時間はさらに長くなっている  

理由のひとつには ヒマラヤ山脈周辺の地質に岩盤などの亀裂が多く もろい事情がある  流域河川から削り取られた土砂が排出され 巨大な堆積(たいせき)物を生み出すダム建設の障害になりかねない  2003年 ネパール第2の都市 ポカラ近くのセティ川中流にあるダム建設の候補地を訪れたJICAの尾崎氏が 日本がやるべき事業だ と確信したのは 切れ込んだ渓谷に戦後日本の挑んだアルプス地方のダムの姿が浮かんだからだ  脆弱な地質でのダム建設で一日の長があるのは間違いないと語った 

インタビュー 女性初8000メートル峰14座制覇の呉さん 山はわたしの運命 7月9日ソウル聯合ニュース  4月にネパール中部に位置するヒマラヤ山脈の高峰群アンナプルナ 8091メートルの登頂に成功し 女性として初めて世界8000メートル級の高峰14座を制覇した韓国の女性登山家 オ ウンソンさん44歳  山に登る理由を 山はわたしの運命  帰れないことが分かっていても登ってしまう魔力がある と語った  呉さんは 身長154センチメートルと小柄な女性だが山の話になると目を輝かせ これまでの数々の挑戦を聞かせてくれた  登山家を目指すようになったのは 小学校5年生ごろ  岸壁を登る光景を見たことがきっかけで 登山家を夢見た  
大学では山岳部に入り 卒業の1997年にガッシャーブルム 8035メートル に挑んだのを皮切りに エベレスト 8848メートル K2 8611メートル などを次々と踏破した  14座連続登頂の目標を立てた2008年からは 1年に4峰という驚異的なペースで挑戦を続けてきた  女性初の14座制覇とあり 国民から大変な関心を集めた呉さんは最近 インタビューや歓迎イベント 講演会などで忙しい毎日を送っている  自身の登頂経験を記したエッセーの出版も準備中だ  海外の高峰で日本人登山家と何度も出会ったことで 日本登山界との交流も進めている
  女性で世界初のエベレスト登頂に成功した田部井淳子さん 星のクライマー 故植村直己さんを尊敬していると紹介した  韓国で6月に行われた日本山岳協会と韓国登山界との交流会にも出席した  また 1月には北アルプスの西穂高岳 2909メートル に登り 「韓国の山と比べ雪が多く 美しい光景に魅了された」という  またの日本訪問を楽しみにしていると話した  呉さんは 「頂上だけを見ていては山は征服できない」 と強調する  一歩一歩に忠実でなければならない 8000メートル級の高峰は 心が先走っては登頂を許さない  単独登頂が多かった呉さんだが 後進の育成にも意欲を示した  技術面は登山学校などで学べるが 8000メートル以上の高峰になると話は別だとし 自分には女性の立場で培ってきた経験を後輩に伝授する義務と責任があると話した  
ただ 高峰に登るのはスポーツではなく 命の危険を覚悟しなければならないため 迷いも少しあると打ち明けた  40代半ばとなり 8000メートル級に挑戦できるチャンスは1から2回しか残っていないと考える  これまで命をかけ走ってきた挑戦を振り返り 自分自身を見つめなおす時間を持ちたいと呉さん  登頂の成功にこだわらず 挫折している人 勇気を出せず頭を抱えている人に希望と夢を与えたいと 今後の計画を語った  


時のネパール  
いつ収まるのだろう ネパールの政権争い
2ヶ月間ネパールから離れている間 どうやらとんでもないことが起こっていたようだ  日本でも報道されたが 5月1日から始まった共産党マオイスト派主催による今年のメーデーに対し 日本外務省は「カトマンドゥ市内におけるマオイストによる大規模デモ 集会に対する注意喚起」というタイトルの渡航情報を出した  5日以上に及んだゼネスト参加者は主催者側の発表によると総勢50万人に及んだという  今回のゼネストはメーデーを祝う傍ら 新憲法の公布期限が5月28日に迫り いまだに着手できない現政府への攻勢を目的にしたものであった  しかし現政府との対話に何の進展も見出せず さらにゼネストの効果もまったく上がらず カトマンドゥ市民からも相当な反発をくらった  挙句に無用なゼネストであったとマオイスト派自身が自己批判したほど  結局5月29日に任期の切れる制憲議会を6カ月延長すること以外 なんの進展 改善もなされなかった  

ついでに5月15日に任期が切れる 国連派遣軍 武器等に関する監視団のUNMINの駐屯も9月15日まで任期が延長され 民意がまったく反映されないトップ間の政権争いに明け暮れる ネパール特有のんべんだらりとした生活に戻っていった  

そんな中6月30日 マオイスト派よる5月ゼネストの収支策として挙げられていた マダブ ネパール首相の辞任が 今になっていきなり行われた  ネパール国の会計年度は通常7月 またひと騒動起こりそうな気がするが メリハリのつかない馴れ合いの政治体制は極東の島国のそれとなんだか似ている

格差が激しい都市と農村の生活
ネパールには 都市部においても工場労働者が少なく 労働組合の団結力が弱い  それゆえに ロシア革命のように都市を中心とした革命は望めない  そこで台頭してきたのが 農村部を中心としたゲリラ部隊  まさに毛沢東の長征を手本にとっている  彼らの生活は極端に貧しく 捨てるものは何もない 命の重みすら都市の人々とは違うと聞く  5月のゼネストは空中分解したように終わってしまい 動員された彼らはまた山に帰って行った  おそらく何の夢も見ずに泥のように眠ってしまったことだろう  

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NBSAネットニュース 編集と文責 渥美よりこ カトマンドゥ在住
2010年7月12日

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