――――― NBSAネット・ニュース 2004年10月 ―――――

 

  ネパールの視覚障害者を支える会

Nepal Blind Support Association (NBSA)

ネパールは秋の風が涼しく青空がますます高く ダサインの秋休みを前に 凧揚げに興じる子供たちの姿が見られるようになりました  ダサインはネパール人にとって最大の祭り  稲刈りも済み ゆっくり休息をとり 祈りを捧げる傍ら 家族団らんの穏やかなひと時を過ごす日々が続きます 治安の悪化などあまりうれしくないニュースも流れますが 祭りは祭り ちゃんと割り切って楽しむところがネパール人の偉いところ 私たちも見習いたいものです

日本は今年大変な台風の災害に襲われたと聞いています  会員、支援者の皆様方はご無事でしょうか  一晩かかって水を掻き出した ベランダの植木鉢が壊れただけよ と様々なニュースも入ってきました  皆様のご無事を遠いネパールからお祈りしています

9月19日 ハイキングに行って来ました  

総勢51人という大軍団 目の不自由な人々23名 ボランティアがやはり23名 それに本職の旅行会社のエスコート5名が なんと無償でボランティア参加してくれました さすが山歩きのプロ 比較的なだらかな丘をゆっくりと登る初心者コースを選んでくれました  昨年12月に続いて2度目のミニトレッキングですが 前回は今年3月のアンナプルナ・トレッキングの参加者の予選であったため かなり勾配の激しい道のりを時間を計りながら進むハードなものでした 今年は会員の菅原さんと旅行会社のヒマラヤンホリデーの多大な援助を受け NBSAは人を集めただけ  楽チンな催しもののはずでしたが この動員がなかなか難しく 初めは人が集まらず 土壇場キャンセル続出  ところが集合時間になるとまったく呼んでいない人が ちゃっかり参加してしまい 定員オーバーになり朝食 昼食の用意ができず大慌てしました  行けばなんとかなるさ いかにもネパールらしいおおらかさに NBSAのコーディネーターは唖然としました  今回はネパール盲人協会の会長を迎えての催しで 若い人々は初め会長の挨拶を神妙に聞いていたのですが 挨拶が済むととたんに歌が始まりました  今回は太鼓の用意がなかったのですがそこは手拍子で補い 中には白杖で音頭をとる人と 大変な盛り上がりよう ネパールの目の不自由な人々が日ごろ娯楽の少ない生活を送っているなー と感じました  ハイキング・コースはカトマンドゥ盆地西部 ネパール最古のチャングナラヤン寺院からナガルコットまでですが 市内から最終地点までの標高差は約850メートル ほとんどをバスで移動しましたが 頂上付近に近づくとさすがに寒くなり これも新しい体験で 多くの人が感動しました  道中人家をなんども通り抜けましたが 村人が親切で 行く先々で水場を使わせてくれました 澄んだ清い水 一見そんなふうでうすが 私たち外国人がちょっと飲んでも下痢をすることがあります ネパールを旅行される方 どうぞ水には気をつけてください

10月15日は国際白杖の日 International White Cane Day

パタン市でデモ行進を行います 当日はネパール盲人協会を中心に ネパール盲人福祉協会 NBSAが協賛で行います  NBSAの役目はボランティア30名の動員とお礼のおやつを配ることです  共通のスローガンは 白い杖は目の不自由な人々が使います  白い杖を見たら徐行運転してくださいなど  ネパールでは白杖の意味を知っている人があまり多くないのです  私自身カトマンドゥの四つ角で 白杖が車にぶつかりポーンと飛ばされたのを見たことがあります 恐ろしい光景でした  白杖の日 日本ではさほど有名な行事ではありませんが ネパールではこうした国際的なイベントに乗じて デモ行進などをします  視覚障害者だけではなく多くの障害者団体も同様です  ネパールでは障害者の福祉や人権などが語られるようになったのは ほとんど1980年 国際障害者年以降なのです  それをお手本に団体などが結成されそのままお祭りまで引き継いだわけです  なかなかハイカラですね  次の出番は12月3日の国際障害者の日と1月4日の点字の日 と続きます  

ネパール人出稼ぎ労働者

新聞やラジオのニュースなどですでにご承知の方が多いと思われますが 9月1日にカトマンドゥ盆地を中心に 前代未聞の宗教色の強い暴動が発生しました これまで宗教関係の紛争など起こさずにきた 多民族国家ネパールでは本当に珍しいことです 有力な情報によると暴動を煽動したのは 隣国のヒンドゥー原理主義者の仕業だったと言われています  ネパールの人々は宗教にいたって寛大です  事件は外出禁止令が発令されて鎮圧され マオイスト問題などあるものの ネパールはまたのんびりとした のんきで自然な姿に戻りました

さてなぜイラクにネパール人がいるの と不思議に感じた方もいらしゃると思いますので 少しネパール人の出稼ぎについて説明いたします

グルカ兵という言葉を耳にされたことがありますか  英国の軍隊がネパール人を勇猛果敢な民族と判断し 外人部隊に編成したのが 出稼ぎの発端です  以降英国の旧植民地だった国には多くのネパール人が 兵隊 治安部隊 警備などに配置されたのですが  安価な労働力と見なされる傾向も生じ  様々な国で肉体労働者としての雇用が現在も続いています  日本、韓国、欧米はむろんのこと 途上国の域を脱してきたマレーシア タイなどにもネパール人が出稼ぎに行きます。様々な国の労働条件など違うようですが 特に過酷とされているのは中近東への出稼ぎです  日中の猛暑の中 屋外で行う工事、道路建設や飛行場の整備などに仕事が割り当てられるそうです  つまり地元の人々にさっぱり人気のない仕事に就くわけですね  エベレスト付近出身の出稼ぎなどは すぐに暑さでやられます  それでもネパールは外貨獲得の手段をたいしてもたず 経済の低迷が続く中 出稼ぎ志願は後を絶ちません

イラクで人質となったネパール人12名の処刑は その数が前例を見なかっただけ 世界的にもクローズアップされました  主にカトマンドゥを中心にネパールには 500社くらいの人材派遣会社があるようですが 中には悪質業者がいてヨルダンへ人材を送る契約をしておきながら こっそりとイラクへ送ってしまったのです  イラクへの渡航は国が認めていませんが 残念ながら闇で入国する させる人々がまだまだいます かなりのネパール人が今もなおイラクに残って仕事を続けているようです  イラクに滞在中のネパール人の仕事は主に 米軍の物資の運搬 食事供給などの下働きです

では日本で働くネパール人は どのようなことをしているのでしょうか

ネパールの事情に詳しいNBSA支援者の 佐藤喜市さんに聞きました

牛を殺すネパール人?
最近読んだ本の中で 「ネパール人」という文字が目に止まった本がありました  日本の食肉製造会社で外国人 とりわけ多くのネパール人が働いているという内容でしたこの本を読んでちょっとショックを受けました。私の友人のネパール人は「もし日本
に行けたら働いてお金を貯めたい  但し牛を殺す仕事と死んだ牛を運ぶ仕事以外の仕事ならどんな辛い仕事でもがまんする と話していたのを思い出しました  
また別の友人から聞いた話で、日本に来て短期間にお金を稼いで帰国したネパール人
にどんな仕事をしていたの と尋ねても それだけは聞かないでくれと絶対話そうとしない  何か人に言えないような仕事だったのかなと感じたそうです  
この本に書いてあることがどこまで真実かはわかりません  また会社も本にでている1社だけではないので屠殺場でネパール人が働いている可能性は捨てきれません 
お金を稼ぐことを夢見て来日したあげく、牛肉の解体や梱包、屠殺などの仕事に就いているネパール人のことを思うと 彼らのカルマとはいえ悲しさを感じます  
願わくはそれらのネパール人が皆ムスリムでありますように 

ネパールの不思議  メールニュース読者の投稿

 たった一週間程度の滞在だったにもかかわらず ネパールはどんな所? ネパールの印象は?といった質問を何度となく受けた  こんな短い間しかいなかった私が ネパールについてあれこれ語る資格はないだろうと思いつつ 分かっていないなりに分析してみることにした。 ネパール人にとって いや正式に言うとヒンドゥー教のネパール人にとってだが 生活のほぼすべてを形作るのが、ヒンドゥー独特の教えだと思う。それはともすると 食事よりも、睡眠よりも、思想や信念よりも 何よりも生活に密着している。こう言うと ヒンドゥー教の教えが彼らの思想や信念なのではないか という批判を受けそうだが それがそうとも言えないところがネパールの不思議なところなのだ  

 例えば餓死しそうな人がいたとする  もしそれが、キリスト教を信じる合理的アメリカ人であれば まず生きるために自分ができうる手段を考える。飢えをしのげて初めて、神に感謝の祈りをするのではないだろうか  

 一方 同じキリスト教を信じるが 神の意志を重視するフィリピン人であれば とにかく必死で神に祈り続けるのではないか 

 それでは ヒンドゥー教を信じる典型的なネパール人であれば? 私の考えでは とにかく普段の宗教儀式を淡々と行なうのではないかと思う  フィリピンの場合と似ているようだが、大きな違いがある それはフィリピン人は 神が助けてくれることを信じて祈っているのに対し ネパール人は特に何を求めるわけでもなく 日常の義務として教えに従っているのだから  

 宗教や文化は 上に書いたほど単純に言い表せるものではないと思う  あくまで私見の一部であることをご了承いただいた上で ネパールについて新たな思いをめぐらせていただければ幸いである

YFさんは遅い夏休み休暇をネパールで過ごされました  来年NBSAが予定している生活自立訓練の講師として ボランティア参加していただきます これはJICAのNGO技術者派遣プロジェクトのひとつです  NBSAは今年の7月に応募したところ見事に採用されました  ということでYFさんのネパールの旅は 現地の下見も兼ねていたのですが 相当強烈な印象を受けたようですね  ネパール料理は どうですか と聞くと 何でもおいしくいただいています と若さと率直さが感じられる答えが返ってきました  来年が待ち遠しい どうぞよろしくお願いします  

(文責 カトマンドゥ駐在員 渥美よりこ)

NBSA
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