――― NBSAネットニュース 2011年10月号 ―――

ネパールの視覚障害者を支える会(NBSA)の会員 支援者の皆様  


カトマンドゥの秋の風

ネパールにはふたつの季節しかない  雨の降る時期と 雨が降らない時期  

10月に入り 雨が少なくなると雨季が終わりに近づいてきます  毎日適度に涼しくなり 晴天の日々が続きます

今年も豊穣を祝うお祭ダサインが終わりひと息  そして10月25日から28日まで続く勝利を祝うティハールが始まります  これは悪を退治する女神が各家庭に降臨し 人々に福をもたらすというありがたい祭  こちらは宗教色が薄く 家族や友達が集いご馳走を食べたり 素人芸人の歌を聴いたり 時にはジプシーのように半分プロの民謡歌手やロックバンドがあちこち出張って行ってお金を集めたりします  日本で言えば大道芸人  技量は日本の方が上のようですが パフォーマンスをする若者の中には真剣にプロデビューをめざしているようです  このあたりは万国共通 若さって素晴らしいですね  


現地活動報告  

ダサイン祭に向けてボランティアスタッフ一同かなり熱心に働きました  帰省する利用者はかなり前から聞きたいCDを取りに来ているので そんなに一生懸命に働く必要はないのですが 事務所は日本の晦日のようなムードで 残業までするボランティアもいました  その疲れがいまだに抜けないのでしょうか ダサイン祭が終わってもまだスタッフが戻って来ません  このあたりは日本とは大違いですね  私(あつみ)は日本人なので少々イライラ  


ネパール関連ニュース

登山家 栗城史多氏が活動再開 同行カメラマン死因は くも膜下出血  

オリコン 9月21日配信

木野さんは現地時間15日 ベースキャンプから歩いて約20分の氷河エリアで倒れているところをパトロール中のネパール政府関係職員に心肺停止の状態で発見され 翌朝搬送されたカトマンズ市内の病院で死亡が確認された  一人で行動していたため亡くなる直前の状況や詳しい死因は不明だったが 木野さんの家族4人が18日に遺体と同市内の病院で対面後 ネパール政府当局の司法解剖の結果 くも膜下出血だったことが判明した  


自身3度目のエベレスト単独 無酸素登頂に挑戦中 同行していたカメラマンの木野広明さんが15日に急逝したことを受け 活動を休止していた登山家の栗城史多氏が21日早朝 活動を再開させた  業務提携するよしもとクリエイティブ エージェンシーの発表によると 栗城氏は午前6時45分(日本時間午前10時) ベースキャンプ標高5300メートルからキャンプ1(同6000メートル)を目指して再び出発した  

遺族から 頑張って欲しいと励まされたという栗城氏は「今 やり遂げるしかないと思っています  木野さんのためにも 支えてくれた隊員のためにも 応援してくれた全ての人達のためにも やり遂げます」 と再出発を決意  急逝以来 待機していたベースキャンプから再び登頂を再開させた  


東日本大震災 アジアから応援メッセージ 取手市役所で展示  茨城

毎日新聞分配信

頑張れ福島  取手市役所玄関ロビーで アジアの人々などが書いた東日本大震災の被災者へ贈るメッセージを集めた展示会が開かれている  同市新町の菓子卸業 竹田定昭さん(69)が5月と6月に中国やインドなど4カ国を巡礼した際集めた寄せ書きで 「頑張ってください」「苦しみや悲しみを乗り越えて」など 31カ所で57人が それぞれの母国語で記帳したメッセージがパネル写真とともに展示されている  
竹田さんは当初 アジア諸国を歴訪するつもりだったが 大震災に心を痛め 巡礼の旅に気持ちを切り替えて日本を出発  46日間かけて中国 ネパール マレーシアなどを巡り メッセージを大きな布(縦1.5メートル 横2メートル)に書いてもらったという  同展示は14日までで 藤代駅にある市藤代ギャラリーでも11月30日〜12月6日まで展示する予定だ  


東電社員殺害 確定判決に合理的疑い  弁護側が意見書 

毎日新聞 10月5日

東京電力の女性社員殺害事件(97年)で無期懲役が確定したネパール人のゴビンダ プラサド マイナリ受刑者(44)の再審請求審で   弁護側は東京高裁に新証拠として提出したDNA型鑑定結果などを踏まえ 確定判決に合理的な疑いが生じていることは明白 と再審開始決定を求める総括的な意見書を提出したことを明らかにした  

同日あった高裁 東京高検との3者協議で 高検側が11月25日までに意見書を提出することも決まった  

弁護側によると 提出した意見書は9月30日付  7月に明らかになった鑑定では被害者の体内から受刑者とは別のDNA型の精液が検出され この型が殺害現場の部屋にあった体毛3本と同一か完全一致した  


その後 被害者の胸に付着した唾液とみられる液体から受刑者と同じB型の反応がみられなかったとの血液型鑑定書が捜査段階に作成されていたことも判明  意見書の中で弁護側はこの二つの鑑定書について「無罪を言い渡すべき証拠として とりわけ重要」と評価  事件当日に被害者が受刑者以外の第三者と部屋にいた可能性は考え難いとした確定判決の 中核を否定すると主張している  


回顧展 厳冬期エベレスト登頂 加藤保男さん 母校の友人ら企画 東京板橋で 

毎日 10月13日

最高峰への挑戦  後世に

82年に世界で初めて厳冬期のエベレスト登頂を果たし 下山途中に消息を絶った登山家 加藤保男さんの人生を振り返る展覧会が 13日から母校の大東文化大第一高校に隣接する大東文化歴史資料館(板橋区高島平)で始まる  消息不明から30年になる12年を前に 加藤さんの同級生らが企画  夢に向かって突き進んだ彼の生き様を若者に伝えたいと話す  


加藤さんは埼玉県旧大宮市(現さいたま市)出身  同高在学中に登山家の兄の影響で登山を始めた  24歳で東南稜りょうからエベレスト登頂し 凍傷で両足指と右手の指3本を切断  それでも7年後には再び北東稜から登り 世界で初めてネパールとチベット(中国)の両側からの登頂に成功  33歳の時 厳冬期に3度目の登頂を果たした直後 野営中に行方が分からなくなった  


加藤さんを「やっちゃん」と呼び 小学校から大学まで同級生だった佐藤精一さん(63)は 家族から日記や段ボール3箱分の写真ネガなど大量の所持品を譲り受けた きちんと整理して後世に伝えていかなければ考え 同級生らに協力を要請  12年に創立50周年を迎える母校の記念事業として 企画が実現した  

展示室には さいたま市立博物館から借りた加藤さんの登山服や母親に贈ったピッケルのほか 初公開となる日記 写真などが並ぶ 人柄を垣間見ることができる当時の講演録も配布される  


佐藤さんは 凍傷で指を失った加藤さんが「大丈夫さ」と笑顔で語った姿が忘れられない  「明るくて前向きな男だった  何の世界でもいいから一流になれ 目標に向かって打ち込め という彼のメッセージを感じてほしい」と話している   

入場無料で平日午前9時〜午後5時 第1会期は12月16日まで

第2会期は12年1月10日〜3月16日 

問い合わせは大東文化大第一高校(03・5399・7890)へ


ネパールのニュース

9月19日 ネパールにも被害が及んだインドシッキム州の大地震  

ネットニュース号外でお知らせしましたが マグニチュード6.8ので震源地に近い郡では家屋の倒壊が100軒以上に及びました  ネパール政府はこの地震が起こってからラジオなどで 地震に関する予備知識と避難の仕方をさかんに流すようになり 特にカトマンドゥ市民はこれをかなり真面目に受け止めているようです  


9月25日小型のマウンテンフライト機墜落 19人全員死亡 邦人1人搭乗

首都カトマンドゥ近くで25日朝 同国の民間航空会社「ブッダ航空」の小型機が墜落し 乗員乗客19人全員が死亡した  乗員3人を除く全員が外国人  ブッダエアライン担当者は ウエジマ トシノリさんという日本人男性の名前が搭乗名簿にあることを明らかにした  同航空担当者によると 乗客はインド人10人 ネパール人3人 米国人2人  乗員はネパール人だった  

墜落したのはビーチクラフト機とされ カトマンズの空港を出発して ヒマラヤ遊覧旅行を楽しんだ後 カトマンドゥに戻る途中だった  


10月13日 帰省ラッシュで今年も大事故

ダサイン休暇に帰省する人々を乗せたバスが 東部ネパールで転覆 40人死亡

13人が負傷  

事故はカトマンズから南東へ約100キロ離れたところで起きた  毎年起こる事故であるが 今回も原因は定員オーバー  バスの中は満席 バスの屋根にも乗客を乗せ カープを曲がりきれなかったのが事故の原因  


いったん治まるか?ネパールの政治的混乱 新首相に期待が高まる

先日 バッタライ新首相が国会で所信表明を行った  バッタライ首相は野党側に国会運営の協力を求めるとともに 新憲法案の作成 経済政策 外交政策等7ページに渡る所信は多岐にわたっていた  非常にビジネスライク  新首相に期待する国民が多い  新憲法に向けて国民の期待は高待っている  頑張って欲しいものだ  個人的に言えば1点だけなんとなく気に入らない バタライ氏は自分の名前の前に必ずドクター(博士)をつける  英国の伝統をそのまま受け入れているのだろうが 議長の前では君 あるいはさんしか使わない日本の国会を見慣れているせいか なんだかドン臭さが否めない  


遠い声  ドルガ ラール シュレスタ選詩集  翻訳 藤井正子氏


都市

みんなあまりに急いでいるので

群集の中に一人の人間さえ見つけることができない

彼らがずっと見続けているのは 群集

自分自身せ見つけてはいないのだ


そうしなければならないからと

蚊えらはひたすら走り続ける

どこえ向かっているのか考えもせず

何か目新しいものを見つけては喜ぶ

自分自身を見失っていることも忘れて


彼らは進む

騒音にもかかわらず

息苦しいほどの埃にもかかわらず

そこにあるものはことごとく

存在し続ける無のしるし


この群集の中に私が見るのは

火葬場から真昼の街に出没し 押し合いながら進んでいく

亡霊たちの寄り集まりだ


目を引く物の数々が これ見よがしに並べられ

人を見る眼は 誰にもない

こんな所が「文明都市」と呼ばれる

なんという恥さらし

なんという皮肉

1988年


放心

茨の先で

朝露が 光っているのを見ていた

知らず知らずに

涙が二粒

あふれ出て 眼もとに溜まった

1989年


NBSAネットニュース 編集と文責 渥美よりこ カトマンドゥ在住

2011年10月15日

NBSA: http://nbsa.sakura.ne.jp/



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