――― NBSAネットニュース 2011年12月号 ―――

ネパールの視覚障害者を支える会(NBSA)の会員 支援者の皆様  



12月の桜

ネパールの桜は二度咲き  初春と晩秋と

在ネパールの日本大使館があるラジンパトの並木道では この季節可憐でそして優雅な薄紅色の桜 行き交う人々の目を楽しませます  ほのかな香りが これから向かう冬の厳しさを一時でも忘れさせ ネパールの自然に感謝をささげたくなる気がします  

今年は日本始め 世界的に大規模な自然災害が発生した年でした  地球全体が そして人類が 何か新しい夜明けを迎える過渡期に立たされている時だとの節もあるようです  その後に来る世界は 新しい夜明けになるのか恒久的な静寂か誰もわからないと思いますが 寒空にめげずサンダルで走り回っているネパールの無邪気な子らを見ていると 輝かしい未来の到来を祈らざるをえません  



ネパールの視覚障がい者を支える会も 穏やかながらも前進し続けています  

お蔭様をもちまして ネパール全土で3番目に大きい視覚障がい者の団体に発展することができました  視覚障がい者の人権を擁護するネパール盲人協会 学童の教育部門を担当するネパール盲人福祉協会 そして点字情報誌や様々な書物の音声化を担当するネパールの視覚障がい者を支える会  

私達の仕事は 視覚障がい者特有のカルチャーを担当しているのです  これからも多くの人々に支えながら ネパール全土の視覚障がい者に1条の光が射しますようガ頑張っていきたいと思っています  

今年も様々な方々から様々な支援を賜りまして 本当にありがとうございました

2012年皆様のご多幸をお祈りしています



ネパールの視覚障がい者を支える会  カトマンドゥ現地コーディネーター

渥美 資子



現地活動報告  

長きに渡ったネパールの祝日がやっと終わり 事務所にユーザー(NBSAのサービスを受ける人)とボランティアスタッフが戻ってきました  

以前に何度が書きましたが NBSAには専従の職員がいません  ここで働く人たちをボランティアスタッフと呼んでいて 正午から午後4時まで事務仕事を2名の方にお願いしています  これまで点字雑誌の編集とタイプを盲学校の先生にお願いしていましたが 3ヶ月前からそれを廃止し ボランティアスタッフが事務仕事をしながら点字雑誌部門もこなしています  ボランティアスタッフの日当は150ルピー(約150円)と恥ずかしいほど少ないのですが 熱心に働いてくれて本当に涙が出るほど感謝しています  



定例活動

カセットテープライブラリ事業 トーキングブックの作成  

ロシアの文豪ゴーリキの母に次ぎ なぜかロシア文学が続いています  さらにネパールの政治家の伝記物の録音と編集  

日本よりトーキングブックが圧倒的に少ないので 有名どころ ここだけは押さえておきたい と言った本の注文が多いようです  



点字情報誌タッチ

第27号の発送を終え ネパール各地とカトマンドゥ盆地内の団体などに配布しました  事務所の故障プリンタの修理がどうしてもできずに 同市内のネパール盲人協会に有償で印刷をお願いしました  編集とタイプはNBSA 印刷は盲人協会 発送はNBSAと言ったパターンで今後続けていく予定です  

2011年度は6回点字誌を発送する予定でいましたが これまで発送できたのは3回のみ  この分でいくと恐らく計画倒れになりそうで残念です  



ノートパソコンをいただきました

長きに至ってNBSAを支えてくださっている会員の早坂さんから どんとすごいプレゼントを頂きました  新品同様のノートパソコン  最新の機能 容量も大きくさっそく使っています  スタッフに言わせると パソコン本体に録音するより音がきれいだとの事  昨年 そのノートパソコンでお孫さんたちの画像を見せていただいたのを思い出しました  大切な品だったと思います  本当にありがとうございました  



点字本をいただきました

神戸市のシルバーカレッジの英語点字グループから 英語点字の本を頂きました  

ドン・キホーテ(2巻)

海からの贈り物(2巻)

くまのプーさんU(4巻)

グループの皆様は リタイアされたり子育てが終わった方々が余暇を利用し 社会奉仕をされているとのことです  ネパールのみならず アジアの視覚障がい者障害者にも点字本を贈っていると聞きました  装丁もすごくきれいな本ばかりです  皆様本当にありがとうございました 



ネパール関連ニュース

韓国登山家がまた1カ月間に相次ぎ5人犠牲

中央日報日本語版 11月14日



ネパール チョラツェ(6440メートル)北壁を登攀したキム ヒョンイル(K2クライミングチーム)隊長とチャン ジミョン隊員が11日に滑落して死亡した  
2人は頂上まで遠くない6000メートル地点で事故に遭った  遺体は事故地点から1300メートル下の4700メートル地点で発見された  キム隊長は韓国で初めてヒマラヤ7000メートル峰をアルパインスタイルで登頂した登山家だ  韓国山岳界はパク ヨンソク隊長を失ってから1カ月の間に世界的な登山家2人を失った  また 次世代スターとして期待を集めた登山家3人も続けて犠牲になった  


キム隊長はスパンティックゴールデンピーク 7027メートルに コリアンルートを切り開き帰国した2009年7月に中央日報とのインタビューに応じた  彼は「なぜ死ぬ危険を押し切って山に行くのか」という質問に答えなかった  

ともにインタビューしたミン ジュンヨン キム パルボン氏も答えなかった  

ただ微笑だけ作って見せた  ミン・ジュンヨン氏はそれから2カ月後にネパールのヒウンチュリ(6441メートル)を登攀して行方がわからなくなった  キム パルボン隊員はミン氏が失踪した後に高山登山をやめている  



問われるのFIFA(国際サッカー連盟)人権意識

ISM 11月18日配信

ゼップ ブラッター会長が人種差別問題を容認するかのようなコメントを発したことで 各方面から批判を浴びているFIFA(国際サッカー連盟)現地時間17日には この件を受けて多方面から批判の声が上がったほか 2022年カタールW杯のスタジアム建設に従事する労働者の劣悪な環境を問題視する声も出ており FIFAの人権意識が問われる事態となっているとロイター通信が報じた  

BWT (国際建設林業労働組合連盟)のアンベット ユソン書記長は FIFA本部での会合を終えたあと ロイター通信に対し「我々はFIFAの事務総長に 『奴隷のように搾取された労働者によってスタジアムが建設されることをお望みですか』と尋ねた」とコメント  同書記長によると カタールで現在建設作業に従事する人々の94%が インド ネパール バングラデシュなどからの出稼ぎ労働者だという  



クリスマス限定コフレ続々登場 歌舞伎モチーフの変わり種から 被災地支援まで

MONEYINE 11月19日 配信

クリスマス前は 各ブランドがこぞって限定コフレを販売する時期である  コフレとはフランス語で宝箱という意味で ホテルやレストランでギフトとしてもらえる 化粧品や食品等の試供品が入っている小箱のことを指す  

自然派化粧品ブランドのアヴェダからは ネパールの伝統産業 ロクタ紙を使ったギフトボックス入りのスキンケア ヘアケアなど7種のセットが登場  それぞれ 「東北支援オリジナルタオル」がついており 購入することで ネパールのコミュニティと東北被災地のサポートにもつながるという  価格は5775円から  



世界で最もムカつく空港 の首位にパリのドゴール空港

米ニュース専門局CNNがアジア地区の観光情報を提供するサイトで「世界で最もムカつく空港トップ10」が発表された  

1位に選ばれてしまったのはパリのシャルル ドゴール空港  その理由は 職員の態度が横柄 案内板が少ない 汚い といったもの  さらに ネット上では迷宮のような通路 パリで最も食事がまずい場所 といった苦情も上がっている  

2位はロサンゼルス国際空港で 3位はロンドン ヒースロー空港  これにトンコンティン国際空港(ホンジュラス) ニノイ アキノ国際空港(フィリピン) ジョモ ケニヤッタ国際空港(ケニア) ジョン Fケネディ国際空港(米国) トリブバン国際空港(ネパール) パース空港(オーストラリア) グアルーリョス国際空港(ブラジル)が続いた  

尚 中国の空港はランキング外だそうです  



東電OL事件 東京高検 有罪揺るがない

読売新聞 11月25日

東京電力女性社員殺害事件で無期懲役が確定したネパール国籍のゴビンダ プラサドマイナリ受刑者(45)の再審請求審で 東京高検は25日  マイナリ受刑者の有罪は揺るがない とする最終意見書を東京高裁に提出した  

同事件では 高検が3から7月に実施したDNA鑑定で、女性の体内から採取された精液のDNA型が同受刑者以外のもので 殺害現場に残された体毛と一致したことが判明  この鑑定結果を弁護側は無罪とすべき新証拠としたが 高検は9月に 新証拠にはあたらない とする意見書を提出している  



最終意見書では新たに 捜査段階で女性の胸から検出されていたマイナリ受刑者 血液型B型 とは異なるO型の唾液に言及  弁護側はこれも新証拠としているが 高検は唾液について 女性がO型の人物と殺害現場以外で接触した際に付いた可能性が高いとして 新証拠にはあたらないと主張した  



日本酒造り 元大使館員 ネパールのラゼッシさん視察 本国での製造へ第一歩 徳島 毎日新聞 11月29日



在ネパール日本大使館の元大使秘書官 シルワル ラゼッシさん(60)が28日 新酒造りが始まった徳島市の酒造場を視察した  先月 同大使館を定年退職したのを機に 日本酒の現地製造という長年の夢に向けて第一歩を踏み出したという  ラゼッシさんは 基本的な製造法などを学び 実現の可能性を探りたい と意気込む  
ラゼッシさんによると ネパールでは甘くてすっきりした日本酒はサケと呼ばれ 若者を中心に人気がある  しかし 輸送費や関税などの問題で 価格はビールの数十倍と高価で庶民には手が届きにくいという  


仕事柄 日本酒を飲む機会が多かったというラゼッシさんは「まだ誰も挑戦していない日本酒の製造ならビジネスチャンスがある」と本国での製造を発想  26日に来日し 同市佐古七番町の斎藤酒造場を視察  この日は藍住町の醸造用の精米工場も見学した  

同酒造場の斎藤尚武社長(67)によると 外国人による海外での日本酒製造は 統治時代に製造法が伝わった韓国くらいしかないという  斎藤社長は「簡単にできるものではないが面白い挑戦  応援したい」と歓迎する  ラゼッシさんは 来年初めにも若いネパール人を連れて再来日し 中長期の研修を受けたり 比較的容易な梅や果物を使ったリキュール製造などを学ぶことも検討している



ネパールのニュース

ネパールで再び地震

ネパールの当局によると11月13日の午前5時半にカトマンズを含む西ネパールで強い地震が起こした  ゴルカ郡の郡町所在地より北に30キロの地方が震源地で震度5を記録している  揺れが強かったのは 西ネパールのカスキ ラムジュン シャンジャ タナフ郡となっている  

避難訓練などはいまだに実施されていないが 政府はラジオ放送で 地震に対する心得のようなものを盛んに流し 揺れを感じたら即座にターブルのしたなどに入り 揺れが収まるまで外に出るな など教えているが  避難訓練などはまだ実施されていないようだ  ネパール人の多くは床に座って食事をする習慣がありお膳すらない家が多い  また最新の家屋は天井をかなり高く設計するのが流行だが 耐震装置などはほぼ考慮されていない状態だ  



空前の円高 ネパールルピー安  ブランド物はコリアがトップ

ほんの数年ほど前は50ルピーが約100円であった 現在ではなんと大逆転100円が100ルピー  当地に住む日本人にはありがたい話だが 少数派ではあるがネパールの大富豪もメイドイン コリアに鞍替えし 誰もジャパンブランドに見向きもしない  そのかわり韓国製品がお金持ちの間でうけている  家電製品のみならずビューティーサロンやブティックもコリアンもトップ  ところがネパール在住の韓国人の間では このコリアンブーム かなり評判が悪い  ネパールに輸入されてくるコリアンブランドのほとんどがアウトレットだからだ  在ネ韓国人NGOの人などは 韓国の名がすたる こうした商品を扱う店を取り締まるべし との声も上がっている



カトマンドゥ内のバス代 オートリキシャのテンプー値上げ

比較的安く本数も多い庶民の足が値上げした  1ルピーか2ルピーの値上げなので生活に支障はないが 安いのに慣れてしまっているので生活に困るほどのことはない それよりもっと困るのは それを理由に大型自家用車を購入する人が増えたこと  出勤時間帯は慢性的に交通マヒ  また バイクの普及がさらに拡大し無秩序な運転で事故多発  その代わりと言っては変だが 交通違反を取り締まる罰金で政府の財政が増えたそうだ  



計画停電はかなり改善されてきた様子だが 早くもプロパンガスとガソリン不足が予想されている  例年冬場になるとこれらが不足して燃料の争奪戦が展開される  燃料のほとんどをインドに頼っているネパールだが 不払いが多く 輸出先のインド政府から時々バッシングを受ける  燃料が不足すると一番困るのは一般庶民  新首相の手腕に注目したい



プラチャンダこと元首相のダハール氏(マオイスト党)が 国連を訪問しバン国連事務総長と会見した  お釈迦様の生誕地南ネパールのルンビニ地域の開発援助を願うのが目的  確かほんの数年前までは 米帝アメリカ打倒を叫んでいた人だったが  また同党の現首相バタライ氏は 外遊先で昔の対ソ連を目的としたマーシャルプランを評価する演説をするなど どうにも奥が深くてネパールの政治家のことは理解しがたい  



ネパールの政権議会 さらに6ヶ月の延長 4目の正直になるだろうか?

前々から予測されていたように またしても憲法の制定が遅れます 国は小さいが多民族国家のネパール  連邦制になってもどこもスムーズに機能していない様子です  

一般国民の政治離れは否めない様子  



遠い声  ドルガ ラール シュレスタ選詩集  翻訳 藤井正子氏

今回は詩の時代的背景をおさらいしてみたいと思います



1950年から51年にかけて 長く続いたラナ独裁政権打倒を叫ぶ大規模な反乱が全国規模で起こり ついにラナ家は政権の座から追われました  自由の新しい波は一気に広がり この革命的変化のうねりに乗ってネワール文学においても個性的な新進作家が続々と登場  スタイルにおいても内容においても これまでにない独自の作品が生まれてネワール文学に第二のルネッサンスをもたらしたのです  



文学運動と民主主義をめざす民衆の社会運動は一体のものとして進められ 若手の詩人や作家達はある意味ではこの運動の最前線を担っていました  彼等の自由を求める力強い合唱の中でもひときわよく響く声 それがドルガ ラール シュレスタだったと 当時を知る人々は回想しています  



しかし 民衆の自由への夢は再び裏切られます  その後も権力抗争が繰り返され 不安定な政情が続きました  国民の生活が窮乏し それが新たな反政府運動に発展して 1989年には市民を巻き込んだ大衆決起に至ったのです  最終的には1990年 民主憲法を勝ち取り議会制民主主義がスタートしたのでしたが 10年にも及ぶこの苦しい戦いの中で多数の犠牲者を出したことは 人々の心に深い傷跡を残すこととなりました  



@復活

   天と地を結ぶ 一筋のこの光

   空を覆う雲から 今にも降りそうな雨

   木々を渡っていくこの風



   その人は今にも来る

   そう直感し 誰も眠らない夜



   ひたすら望み続けたことが

   どんな力になったか知らぬが

   まさにこの時だったのだ

   人生が何を意味しているかを知ったのは



   移り行く時は 確かに復活を示している

   ほんの昨日 ここで撃ち落されたものたちの

1990年



A硝煙 

   おまえ それでも生きているのか

   生きるとはそういうことなのか

   この卑劣さによくもがまんできるものだ

   なぜ己を恥じないのか

   

   笑っている愚か者よ 十字路に立つ案山子よ

   自分の心が泣いているのを聞いたことがあるか

   知識を蓄えるほど

   ますます恥知らずになっていく

   そして内なる己を

   生きながらにして墓場へと引き渡す



   すくみあがる四方の群集に向けて

   銃は眼を刺すような硝煙を噴き続ける

   その光景を見渡しながら おまえは言う

   これはまたけっこうな人間ショーだと



   お前は決して連帯などしていない

   引き離された馬のようなものだ

   目覚めているというお前の言い分は

   自己欺瞞以外の何物でもない



   この状況を前にして

   おお 神よ 教えて欲しい

   一体誰に正義があるのか

   どうすれば人間の偉大さに対する確信を

   失うことなく 持ち続けることができるのか

1991年



B偽りの夜明け

   あれは つい昨日まで

   歓喜にあふれていた顔だ

   朝露にぬれた葉のように

   光かがやく心を秘めて



   ああ それが今日では

   おそろしく憂うつそうで寂しげだ

   神聖なお方がやって来るなり

   すぐ出て行ってしまった宴会場のように



   同じ顔でありながら

   夜明けの光が射した瞬間

   夕暮れに越されてしまった時代の悲劇が

   その顔にくっきり書き込まれている

1993



NBSAネットニュース 編集と文責 渥美よりこ カトマンドゥ在住

2011年12月2日

NBSA: http://nbsa.sakura.ne.jp/



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